謳歌

 

 

『もっと優しく、見守って上げたらいいのに!』と思うことが、このところ多くあります。健気に生きていこうとしている、少女を、あんなに無残にも罵(ののし)ったり、貶(おと)しめたりすることがあっていいのでしょうか。嫉妬か、恨みか、いたいけのない新人に対しては、酷ど過ぎます。もし、実力がなかったり、また時流に乗れなかったら、元の生活に黙って戻って、平凡に生きて行けばいのです。次の機会があったら、再挑戦させて上げたらいいのです。

私は芸能人の生活に、ほとんど関心がありません。ただ若い頃、素敵だとか、すごいとか思っていた方たちの消息に関心はあります。『最近、どうしてるんだろう?』とか思うことはあります。でも、これからの人に向かって、引き摺り下ろそうとする、あの悪意は、どうもいただけません。というのは、木村拓哉さんのお嬢さんが、芸能界にデビューした途端、物凄い叩き付けが見えるからです。

可愛くって、感じがいいではありませんか。ご両親の良いところを受け継いでいて、活躍して欲しいと思うのです。誰にでも未熟で、不慣れで、不確信な時期があったはずです。けっこう寛容で、忍耐し、将来性を見てくれて、多くの人が、その世界で、一人前になっていくのです。まだ15才ですから。

日本って、こんなに不寛容な社会を形作ってしまったのでしょうか。もう引退してもいい様な政治家の繰り返される失言や失態には、けっこう寛容だったりしているのでしょう。力ある人には、尻尾を丸めてしまって、責めるることを躊躇してるのでしょう。自分の身や立場が危うくなるなら、心の中に不満を隠して、みんな黙り込んでしまいます。彼女は、誰にも危害を加えたりしていないのに、煽り立てて、引き降ろそうとする動力には、こちらが腹立ちしてしまいます。

お父さん、またはお母さんが嫌いで、娘まで憎くなる感情っていうのが、日本にはあり続けているのでしょうか。漱石が、「草枕」で、『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』、このくらいの住みにくさ だったら、誰も傷つかないことでしょう。揶揄や嫉妬なんか気にしないで、"15の秋"を精一杯に謳歌(おうか)して欲しいものです。

([HP/里山を歩こう]の配信してくださった「リンドウ」です)

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