人間の究極的な敵とは何でしょうか。どんなに素晴らしいダムを建設し、宇宙の果てを見極める望遠鏡を発明し、火星に足跡を記し、ガンを制圧するような医学の驚異的な進歩があったとしたとしても、私たち「人」には、「死」の問題は、厳然として残ります。
私は、若い頃に、師弟の間で交わされた会話を、亀井勝一郎の随筆本で読んだことがありました。師は倉田百三、広島県の庄原市に生まれ、浄土真宗の宗教的な環境の中で育ったのです。後に、一燈園(争いのない平和を求めて奉仕や農事や教育を行う団体)の生活を体験したり、親鸞の教えをまとめた「嘆異抄」を熟読します。
一高に進学し、西田幾太郎の「善の研究」に惹かれています。また日本アライアンス教団の教会にも出入りし、聖書を読み、讃美歌を歌い、ある時は、教会の講壇に立って、説教までしています。このアライアンスの群れは、A.B.シンプソンの教えた「四重の福音(イエス・キリストが救い主、聖別主、神癒主、再臨の王)」を掲げていて、その影響が、百三には強かったのです。
27歳の百三は、6幕の戯曲、「出家と弟子」を書き上げています。それには、親鸞の教えとキリストの教えの影響を強く受けたもので、大正期には、16万部もの部数を売り上げたベストセラーであったそうです。親鸞の教えとともに、聖書の記事に強く影響されてもいたのです。
晩年に至って、百三は、次の様なことを書き残しています。「二十三歳で一高を退き、病いを養いつつ、海から、山へ、郷里へと転地したり入院したりしつつ、私は殉情と思索との月日を送った。そして二十七歳のときあの作を書いた私の青春の悩みと憧憬と宗教的情操とがいっぱいにあの中に盛られている。うるおいと感傷との豊かな点では私はまれな作品だろうと思う。あれをセンチメンタルだと評する人もあるが、あの中には「運命に毀たれぬ確かなもの」を追求しようとする強い意志が貫いているのだ。(1936年12月7日付の「劇場」所収)」
そんな百三が、死期の迫ったころに、弟子であった亀井勝一郎に、一つの問い掛けをします。『亀井、亀井、極楽はあるのだろうか?』とです。その時、百三は、肺結核や肋骨カリエスで病床にあって、死期が迫っていました。病床を見舞いに来ていた亀井に、そう語り掛けたのです。
百三にとっても、この「死」の問題は、重大であったのでしょう。親鸞に傾倒し、キリストの教えに共鳴しながら、模索の生涯、51年を送ります。どうも、迫り来る死についての、言い知れない不安が溢れていたのでしょう。その「死」について、はっきりとした答えを、百三は持っていなかったのです。
少なくとも聖書は、この問題を避けていません。知りたいと願う私たちに、答えを提供しているのが、永遠のベストセラーと言われる「聖書」なのです。何と言ってるのでしょうか。新約聖書の多くを記したパウロは、死の問題を明確に、次のように述べています。
『私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。(新改訳聖書 ローマ5章6-10節)』
あの十字架の上でなされた、「キリストの死」によって、罪に落ちた人類への「神の怒り」から救われ、「和解」されるのだと言います。それは、旧約時代に預言者イザヤが語った、次の聖書箇所の成就でもあります。
『この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、 永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。 その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。この御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ25章7-9節)』
.
「永久に死を滅ぼされる方」がいると言うのです。生きとし生きるものに命を付与された神が、罪を犯して、死ぬものとなってしまった私たち人に、「救いの道」を切り開いてくださったのです。ただ一人、人は空(むな)しく、寂しく、定められた70〜80年の生涯をたとえ終えたとしても、永遠の世界が残されているのです。
では、この「死」に対して、仏教ではどう言っているのでしょうか。浄土真宗を始めた親鸞は、次のように言いました。生と死は、紙の裏表のようなもので、「生死(しょうじ)の問題」、「生死の壁」と言っています。「後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)」のことです。まるで、人の一生は、さまざまな感情が表され、怒ったり、腹立しかったり、悲しんだり、そして喜んだりします。親鸞は、「生死出(しょうじい)づべき道」と言って、生死の問題を説きました。
ただ、死についての解決の道は語っていません。死が滅ぼされることにも触れませんでした。ただに「極楽浄土」が西方にあるとの教えは語っています。倉田百三は、「魂の遍歴」を述べますし、浄土真宗の盛んな地で生きながら、その教えに帰依したのですが、それでも聖書を読んで、聖書の話を聞いて、聖書のが説く「隣人愛」に強く共鳴しました。そして讃美歌を歌い、教会では説教もしていた人だったのだそうです。
でも、自分の死期が迫ったときに、「極楽浄土」があると言う確信が、百三の内で揺らいだのです。
『15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。死は勝利に飲まれた。(1コリント15章54節)』 51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。 52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。パウロは、次のように語ります。 53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。 55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」 56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(1コリント15章)』とです。
さらに、
『それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。(2テモテ1章10節)』
イエスさまが、「死を滅ぼした!」と言います。そのキリストは、死と墓と黄泉とを打ち破って、蘇られたのです。そして、今も生きておられ、私たちにために執り成しの祈りをしていてくださり、やがて、私たちを迎えに来てくださると約束されたのです。
(ウイキペディアによる「出家と弟子」の初版本、デゥラーの描いた「パウロ」、「死海写本」です)
.