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「羨望」を、goo辞書で調べますと、『[名](スル)うらやむこと。「―の的となる」「他人の栄達を―する」 』とありました。では、「羨む」とは何か、同じく調べてみますと、『[動マ五(四)]《「心(うら)病(や)む」の意》1 他の人が恵まれていたり、自分よりもすぐれていたりするのを見て、自分もそうありたいと思う。「人も―・む仲」2 他人のすぐれた才能や恵まれた状態を不満に思う。「同輩の出世を―・む」』とありました。否定的な意味だけではないようです。
自分が、「羨ましく思っていること」を、思いの中に探ってみますと、いくつかあります。たとえば、友人や同級生たちが、国立大学に進学したり、上場企業に就職したり、東京の山の手に家を持っていたり、馬主であったりすることは、羨ましくは感じません。それが一人ひとりの前に開かれてきた祝福の扉の向こうにあることだから、お祝いしてあげたい気持だけです。また、「ノーベル賞」を昨年とられた山中伸弥教授も、『凄い!』と思いましたが、羨ましいとは感じていません。彼が一生懸命に研究してきた「IPS」が、最大限に評価され、今後に期待されたのでありますから、賞賛すべきことです。
では何かと言いますと、一昨日、弟からのメールにあった、『12年間皆勤した卒業生がいた!』と言うことなのです。それは、誰にもできそうではありません。「身体髪膚」を健康なご両親から、『これを受け』、頗る健康であったということになります。彼の努力や決心などの意志の力や、両親や祖父母からの激励や協力があったことも、そうできた理由に違いありません。先生たちからの激励だってあったことでしょう。こういった卒業生が、時おりいらっしゃるということを聞くにつけ、跳んで行って、褒めてあげたい気持ちになり、『ほんとうに羨ましいです!』と言いたいのです。
なぜかと言いますと、私は小学校入学まえに、肺炎にかかって町の国立病院に入院し、退院後も、発熱や咳に悩まされ、自宅療養をしていましたので、「入学式」に出席していないのです。学校教育の最初から、もうつまずいてしまったのです。小学校1年から3年の低学年は、三分の一ほどの出席しかしていないのです。父や母は、「肺炎」と言っていますが、入院していた大きな病院は、青白い顔の痩せたお兄さんたちが、同じ病室や隣の病室にいましたので、今思いますと、どうも「肺結核」だったのではないかと憶測してみたりしています。それでも、そこは「隔離病棟」ではなかったので、「結核」ではなったのかも知れません。確かめることもなく、父も母も召されてしまいましたので、きく術(すべ)がありませんが。
小学校の高学年になっても、中学校も高校も、よく休みました。大学の頃は、授業を《サボ》っては、喫茶店や映画館やパチンコ屋などにい、アルバイトに精出していましたから、実に意気地のない、意志薄弱男だったのです。『もし、もう一度、やり直せるなら!』、学校教育を受け直したいのです。あらゆる努力をし、お尻を叩き、這ってでも出席し、「皆勤賞」を取ろうと思うのです。『覆水盆帰らず!』と言いますから、小学校1年に戻ることはかないませんが、それでも、『もう一度、スタートからやり直したいな!』と、心から願うのです。「皆勤」したのは、どんな学生だったのでしょうか、会ってみたい気持が、今朝はしております。