紫陽花の蕾

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『道々の紫陽花の蕾が大きくしはじめました!』と愛読のブログにありました。この漢字を、「あじさい」と読むのですね。そうですか、東京は梅雨が近づいているのですね。例年、この時期のこの街は、雨季のように、雨の降る日が交互にやってくるのです。昨日は半袖でしたが、今日は長袖で肌寒く感じております。

以前住んでいた家は、なだらかな坂道の脇にあり、一階でしたから、雨の降った後は、裏庭の先の石塀から水が滲み出て、部屋の中も湿気が多かったのです。あの庭に金木犀があり、隣の家からは天使のラッパが庭に垂れ下がって咲き、左隣の庭からは、椿の花が咲いて落ちていました。でも一番のお似合いは、紫陽花なのだろうと思っていますが、ついぞ植えることもなく越してきてしまいました。

子育て中、子どもが手折った紫陽花を手に、友達のお母さんからもらって帰ってきて、『はい、⚪️⚪️ちゃんのおばさんから!』と、渡されことがありました。やはり長いしとしと雨の梅雨の時期の思い出なのです。よく俳句に詠まれる花です。

紫陽花の一夜の雨に艶やかに 久保田一豊

この「十七文字の文学」に憧れているのですが、作句のセンスがないのです。この冬に、日本に帰りました時、大原の里の温泉につかったのです。雪の舞う朝湯の中で、五七五とやってみたのですが、ダメでした。最高の俳句創作の自然環境だったのにです。久しぶりの帰国、まだ薄暗い朝、京風情の温泉、雪まで降っていました。

深深と 大原(おはら)の露天 雪のふる

「しんしん」と読んでください。ね、こんなものです。なぜ憧れたのかというと、小さな店をやっていた初老のご婦人が、自費出版の「句集」ができるたびに、それを届けてくれたからです。普段は構わないのに、しっかりと和服を召していたのです。中年になった私に、その俳句と和服の日本情緒が目覚めたのです。目覚めても、やはり学ばなければいけないのでしょう。

コンクリート作りの五階の今ですから、あの湿気から解放されて、ドライな感じがしていますので、俳句は、どうも似合いません。『もうすぐ梅雨・・・』という四季の訪れの微妙な変化がちょっと違うのです。あっ、分かりました。こんな言い訳をしてるからダメなのでしょう。

(写真は、ウイキペディア掲載の「アジサイ」です)

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