英語に “ hug “ と言うことばがあり、人と人との関わり方法があります。宣教師の教会、家で開かれる聖書講座に、ニューヨークやテキサスの聖書学校の教師や牧師が来て挨拶をすると、握手だけではなく、このハグをしたりしました。日本人には習慣化されてない挨拶の方法でした。それでも親しさや感謝の表し方としては、体温を互いが感じ合うことができて、実感としては優れていると思いました。
最近、ある講演を聞いていて、その話の中で紹介されていた本を、古書ネットで買ったのです。その一冊は、「しゅくだい(原案が宗政好子、文と絵がいもとようこ)」という題の「絵本」でした。先生が出した宿題の話です。
屋外派、乱暴派、漫画派だった自分には、絵本を読んだ記憶が、ほとんどないのです。大人になってから話題になっている「フレディーの葉っぱ」とかを買って読んだのですが、幼少期の欠けたところを補う心の動きで、それを埋めようとする衝動に、今になって動かされています。
◯youtube https://www.youtube.com/watch?v=d3dmBnYrE7I
こんな風に家に帰って、お母さんやお父さんやおばあちゃんと、家族の間で「ハグ」をする宿題だと、いいですね。主人公のもぐくんは、恥ずかしがらないでハグを求め、家族はみんなそれに、楽しそうに応答しているのは、互いが互いの体温を分け合い、受け合うのは素敵なことですね。
父に、よく抱きすくめられました。そしてヒゲの頬擦りをしたり、くすぐったりして、『やめてくれよ!」と訴えてもやめなかったのです。あの skin ship は、懐かしい思い出です。ゲンコツオヤジだけではない、ハグオヤジだったのは、非行化防止のために益だったに違いありません。
人と人との距離が広がり、ことばや眼や身体での直接間接の接触がなくなってきている現代人でも、温もりと関係と絆が必要なのです。病んでいる人が求めているのは、薬だけではなく、《つながり》でしょう。めいこせんせいが、しゅくだいをしてきたクラスのみんなを見て、『きょうは とても げんきそうねえ〜。』と言ったように、人を元気づけ、生きる意欲を高めるのでしょう。
華南の街の学校で、一年生の前期の授業を終えた時に、ひとりの女子学生がやって来て、『ありがとうございました!』と言って、『先生お願いがあるんですが、わたしを hug してくださいませんか!』と願ってきたのです。寂しかったのか、なにか感動があったのか、自分の正直な願いを示したのです。
一瞬間があったのですが、わたしは『はーい!』と言って、帰りかけたクラスが見守る中、彼女を軽く hug したのです。〈言葉のキャッチボール〉で半年過ごした後、hugした学生は満足そうな顔をして、『ありがとうございました!』と言って教室を出て行きました。恥ずかしがらないで、自分の感情を、大人として言い表したのは素敵だなと思ったのです。何か、中国を hug したようで、懐かしい十三年の中国生活の一場面であります。
25才で、聖霊に満たされた時に、隠れて犯してきた罪、英語表記ですと、sins の数え切れない罪が、いっぺんに赦されたと実感したのです。頭では理解できなかった十字架が分かったからでした。それは味わったことのない心の平安でした。帰ってきた弟息子を、抱きすくめて迎えた父親のように、父なる神に、まるで抱きすくめられ、受け入れられた hug だったのでしょう。
( “ キリスト教クリップアート“ からエサウとヤコブの「和解」です)
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