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母の出生地、出身地が、島根県出雲市ですから、わたしにとっては特別な県であります。それは、父が、母の出身地を本籍にしましたので、この父母の四人の子の私たちにとっても本籍でした。二人の兄たちは出雲で生まれています。多くの日本人が skip (飛び越えてしまう)してしまう県の一つで、今わたしたちの住む栃木や群馬と並ぶ、『どこにあるの?」と思う県なのでしょう。
この街で伝道活動をしていたカナダ人宣教師の教会に、友人の誘いで、母は導かれてクリスチャンになっていますから、母への一番の感化、生きる道を示され、癒やされ励まされた街や県でもあるのが、この島根県出雲市でした。日本の神々が、「神無月(かんなづき/十月)」に集まるほどの宗教都市だとされてきた街に生まれて、天地万物の創造、統治の神を「神」と、母は信じることができたのです。
さらに、この地域は、「神話のふるさと」と言われる地で、「大国主命」や「因幡の白兎」の話を、子どもの頃に聞かされています。母にとっての神は、「父なる神」だったのです「
『私たちが神の子どもと呼ばれるために、--事実、いま私たちは神の子どもです--御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。(1ヨハネ3章1節)』
〈父なし児(ててなしご)〉が、聖書に記された神、カナダ人宣教師が知らせてくれた神が、「父」であったことで、母は本物の父親を知ったのです。そんな出会いをして、生き直すことができたわけです。
出雲からも伯耆大山(鳥取県)が見えたでしょうか。山陰一の山なのですが、この山も富士山に似た形状をしています。島根県には、「しじみ漁」で有名な宍道湖があります、東に松江、西に出雲が位置していて、私たちが知らない「しじみ料理」が地元にはあるようです。
安来市は、泥鰌(どじょう)が有名で、その「安来節」は、尻っぱしょりに鼻手拭いをして、どじょうをすくう竹製の手箕(てみ)をもって、腰には「魚籠(びく)」を下げて、面白おかしく歌って踊るのですが、そのせいで、父は、小川に入ってはドジョウすくいをするのが大好きだったようです。いつか、浅草に行って、父の約束を《お一人様成就》しようとは思っています。
県都は出雲市、県花はボタン、県鳥は白鳥、県木は黒松、県魚は飛魚、人口は66万人、これが島根県です。古代の書である「出雲風土記」が残されていて、律令制下では、出雲(いずも)国、石見(いわみ)国、隠岐(おき)国の三国がありました。
母は、自分に兄弟姉妹のいない一人娘でしたので、養父母に丁寧に育てられたようです。養父は早世して、母子家庭で育っています。「今市小町」と言われたと、親戚の叔母に聞き、相当のお転婆だったそうです。でも養母に、厳しく育てられたのでしょう、和裁が上手でした。父の和服を解(ほど)いて、洗って、独特な針棒で庭に干して、縫い直したりしていました。負けず嫌いで、家事一切が上手になされていました。
その養母が、五月の「端午の節句」には、この四人の男の子の無事と成長を願って、「ちまき」を作って、毎年送ってくれました。笹の棒に米粉の団子をつけ、笹の葉でくるんでありました。それを母が蒸してくれて、砂糖醤油で食べたのです。あの笹の蒸した匂いが、私たちの五月でした。母の養母の故郷は、雲南市だったのでしょう、その地域の季節の食べ物だったのかも知れません。
合併前は、「大東(だいとう)」と言っていましたが、その街をわたしは訪ねたことがありました。出張の帰りに寄ったのです。立派な家で、「五右衛門風呂」に、簀(すのこ)の上にのって、鉄製の湯ぶねに入ったのです。あんなに体の芯までポカポカにえなったことがないほど、素敵なお風呂でした。都市部では体験できない、出雲地方に残された生活形式に触れたわけです。
同じ雲南地方の「木次(きつぎ)」では、「たたら製鉄」が行われてきていました。とくに松江藩は、この製鉄に力を入れて、藩財政の基盤としていたようです。「たたら」は「鑪」と漢字表記され、木炭の温度を高めるために、空気を送るために使われた「鞴(ふいご/送風器)」のことです。
古墳時代には、この製鉄が始まっていますが、製法の変遷を経て、揖斐川の流れが運んでくる砂鉄を原料に、木炭を使用した製法で、強度の強い「鉄」を生み出したのです。その鉄は、北前船に乗せられて、全国各地に運ばれ、刀剣、包丁、飾り物などに用いられたのだそうです。この種の製鉄は、全国各地で行われたようですが、「木次」のあったものが後世に受け継がれて、残されています。
日本海に面した日御碕(ひのみさき)に灯台があって、そこに連れて行ってもらいました。母の遠足地でもあったようです。出雲大社は、小学校一年の母の家出で、母の帰郷に伴って出雲行った時に、あの茂ちゃんに連れて行かれて行ったことがありました。でも参拝した記憶がないほど、《真の神だけの礼拝》をする確かな信仰のクリスチャンの母の生き方に影響されていたのでしょう。
この地の名物が、「出雲蕎麦」なのです。三段重ねの小さめの「蒸籠(せいろ)」に入れられていて、何種類もの薬味を入れて食べるのです。信州そばも、ご当地・栃木の出流蕎麦も美味しいのですが、この出雲蕎麦は格段に美味しく感じられました。その蕎麦を、茂ちゃんが、「アゴの野焼き(飛魚で作られた練り物)」と一緒に、毎年年末に送られてきました。全く母のふるさとの味でした。
「天然コケコッコー」と言う映画を見ていた時に、主人公だったと思いますが、家を出ていく時に、『行って帰ります!』とお母さんに言っていました。中国地方や山陰地方では、そう言うそうです。物をもらったりして、感謝する時に、『だんだん(ありがとう)!』とも言うのです。
よく父が、母のふるさとの出雲弁を揶揄(からか)っていたことがあります。母は、父の歯切れの良い東京弁に好意を感じたようです。若い頃の父は、けっこう美男子だったようで、いく葉もの写真の中に、そんな父が見付けられます。
都道府県の中で、鳥取に次いで、ここ島根県は人口の少ない県ですが、出雲、石見、隠岐の三か所に空港があるのです。今、ちょっと人気なのが、東京駅と出雲市駅を結ぶ、JR特急寝台の「サンライズ出雲・瀬戸号」が運行されていて、いつか乗って、母の故郷を訪ねてみたいな、と思っております。
(アゴの野焼き、たたら製鉄、宍道湖の夕陽、JRサンライズ出雲市です)
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