ズズメのさえずりに

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 清水かつらの作詞、弘田龍太郎の作曲の「すずめの学校」は、よく歌いましたし、聴いてきました。1921年(大正10年)に作曲されています。清水は、少女雑誌の編集をしながら、作詞をした人で、「靴がなる」、「みどりのそよ風」があります。弘田は、「浜千鳥」、「鯉のぼり」などを作曲しています。

🎶 チイチイパッパ チイパッパ
雀(すずめ)の学校の 先生は
むちを振(ふ)り振り チイパッパ
生徒の雀は 輪(わ)になって
お口をそろえて チイパッパ
まだまだいけない チイパッパ
も一度(いちど)一緒(いっしょ)に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ
 ♫

 散歩途中の運動公園で泣いていたのは、スズメだったと思います。スズメが激減して、絶滅危惧種にでもなる様な状況だと言われていますが、その元気な鳴き合う声を聞いて、なんだか安心したのです。

 このスズメは、木作りの家屋の屋根瓦や板材などの継ぎ目の隙間に、枯れ草や稲を運んで巣作りをして、そこで卵を産んで育てていた様に感じていました。ところが、モルタルやコンクリート造りの家屋が増えてしまって、どこに営巣してるのかが分からなくなっています。それとともに、農薬散布によって、餌となる虫が駆除されたり、生きて行くことができなくなったのが原因で、数が減少している様です。

 霞網(かすみあみ)やバッサリと呼ばれる仕掛けで、子どもの頃に捕まえたりしましたが、食用にしたことはありませんでした。庭に米粒を撒くと、飛んできては啄(ついば)む姿をよく見かけたことがあります。人の生活圏に近いところに巣作りをして、猛禽類から守られる知恵を働かせていたのでしょう。

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新美南吉に、「雀の歌」と言う作品があります。1935(昭和10)年2月に発表された「チチノキ」に所収されているものです。

小さい卵のなかにゐる
かあいゝ坊やよでゝおいで、
みんなはおまえを待つてゐる。

お空は青くはれてゐる、
坊やのお歌を待つてゐる。

梢の空気は澄んでゐる。
小麦は軒端にこぼれてる。

お花畑は呼んでゐる、
遊びにおいでと呼んでゐる。

光はいつぱいみちてゐる。
神様までが待つてゐる。

坊やよ坊やでゝおいで、
黄色いくちからでゝおいで、
母さん「ばあつ」とでゝおいで。

 米作りに精出してきた日本人にとっては、スズメは、稲を食べる敵ではありますが、害虫を捕って餌にしますから、自然界の循環でしょうか、化学薬品を散布しなくても、害虫駆除をしてくれたことで、雀は私たちの生活圏の近くにあり続けた鳥なのです。新美南吉の詩は、雀讃歌の様な響きをもって、微笑ましく詠んでいます。

 運動公園のベンチに座って、しばし鳴き声に聞き入っていたら、なんとなく懐かしく思い出されて、心が癒された様でした。秋も終わり、冬が訪れようとしています。

(ウイキペディアの雀、稲の刈り入れ後の蘖〈ひこばえ〉です)

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