兄貴

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 『準さん、あなたの探し物をしている時間ってとても多いように思うんだけれど!』と家内に、よく言われてきました。物の定位置管理が出来ていない私への彼女の五十年来の観察の結論なのでしょう。そう言えば、『あれは、どこだっけ?』とよく言っている自分に気付くのです。

 ところが、そう言った性行の人間には、失った物を見つけ出す喜びが人一倍あるのです。また、もうあきらめていた物を見つけられる醍醐味もあるので、物の置き忘れが、なかなか止まないのです。それは忘れ物をした副産物で、喜びも一入です。これ、言い訳に聞こえるでしょうか。

 先日も、《一万円札》が、ヒョコリと出てきたのです。帰国したばかりの頃に、すぐ上の兄にもらったものだと思うのですが、九万円ほど使ったものの残りが、普通の封筒に入っていたのを、「収活(〈終〉よりも、収束の〈収〉の方が良さそうなので)」を始めようと、書類の整理をして、捨てようとして、その封筒を灯りに向けたら、見つかったのです。

 「ルカの福音書15章」に、二人の息子を失った父親のことが記されてあります。息子たちは、同じ量と質の愛で父親に愛されたのですが、まったく違う生き方・在り方を選択しました。自分の感情に従って、弟は遠い国に旅立ちました。父親に相談した形跡もありません。ところが兄の方は、父の家にいて、父に従って精一杯生きているように見えたのですが、弟の出奔と帰還とで、潜んでいた父への不満の思いが暴露されます。

 日頃、父親に何でも話すことをしなかったからなのでしょう。弟は失敗と挫折と恥の体験を通して、自分の未熟さを知らされます。その体験の真只中で、父親を思い出すのです。どの時代を生きた若者でも、共通して持っている主張があります。《失敗する権利》です。だれも失敗しないで完璧には生きることは出来ないからで、人は大体、失敗や挫折を通過して、大人になっていくのではないでしょうか。

 そうしますと、兄息子は、弟のような権利主張をしないで、生きて来た人だったことになります。自分の感情を無理やりに押し潰して、生きたのではなかと想像してしまいます。弟に遊び友達がいたように、兄にも友達がいました。でも、彼は友人たちとは、心を正直に開いて挑戦し合ったり、喧嘩をしたりがなかったんでしょう。だから《赦し》を学んだことがないし『ごめん!』と言って《赦される》こともなかったのでしょう。

 放蕩の挙句、帰って来た弟を、責めもしないし、罰も与えないで、ありのまま赦して受け入れている父に向かって、厳しい言葉が、兄の口からこぼれ出ます。彼は、父親も弟も、まったく分かっていないのです。自分とは違った個性や過去を持っている弟を理解しようとしていません。彼は自分の物差しで弟を計るのです。イエスさまを計った律法学者のようにしてです。

 このお父さんは、「死んでいた・・いなくなっていた」弟息子が、「生き返って・・見つつかった」と言っています(32節)。それは父親でしか感じる事の出来ない極めて深い思いであります。自分の愛する息子を見つけ出したお父さんの当然の喜びが、どれ程のものであったかが私に、少し分り始めています。4人の子どもたちの父親にしてくださった神さまが、それを教えてくださいました。兄息子は、この父親の《当然の喜び》を知るなら、弟をありのままで喜び迎え、苦しみを分け合い(箴言1717節)、弟を楽しみ愛することができるに違いありません。

 駄目で愚図で分らず屋の弟の私を見捨てられないで救って下さった、主イエスさまは、父なる神さまが私にくださった特愛の「兄貴」なのであります。「友」だとも、「救い主」だとも、「弁護者」とも言われるお方です。17で信仰告白をしたのに back slide し、22でバプテスマを受けたのに back slide し、25で精霊にバプテスマされて、一度も迷わず、まっしぐらにおいた今まで歩んできました。いつも傍に、「兄貴」がいてくれました。

キリスト教クリップアートの「放蕩息子の帰還」です)
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