三重県

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 新しい年を迎えてしばらく経った時に、その一月の末か、二月のはじめに、三重県の鳥羽で、キリストの教会に仕えるみなさんが集まって、大会を続けていました。牧師や夫人、宣教師夫妻、神学生、兄弟姉妹が参加していて、《年初行事》のようにして、ほぼ毎年、わたしも参加していました。そこには新たなる主の一面を知り、素敵な人、そして何よりも再び新たな経験と出会いと、素晴らしい学びと、激励や挑戦がありました。

 そこに参加されるみなさんは、超教派の教会からおいででした。共通していたのは初代教会が、聖霊体験をしていたように、二十世紀の教会に、聖霊が注がれて、その傾注に預かった人たち、その経験を願う人たちが、一堂に会していました。賛美礼拝をささげ、聖書のみことばに耳を傾け、日本や世界の霊的な変化の起こることを願って祈り、参加者の交わりを楽しんだのです。

 その集いに行く時に、自分の街から、東名高速を経て、渥美半島の突端の伊良子岬の港からフェリーに乗って参加しました。そこで食べたイカの炭焼きの味が忘れられません。渥美半島は暖かなのでしょう、海岸線の畑には、「菜の花」が満開でした。真っ黄色な春を感じて、『今年は何を語られるのだろうか?』という期待が膨らんでいたのです。真夏のひまわりの黄色よりも、一足早く訪れた黄色な春を感じて、そう思ったのです。

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 ある時は、名古屋から陸路をとって、この大会に集ったこともありました。宣教師さんの運転する車に同乗してでした。まだ小さく幼かった子どもを、一人ずつ連れて行きました。海が綺麗で、食べ物も美味しかったのです。帰りには、名物の「赤福」を買って、留守をしていた家内や子どもたちの土産としました。

 ある時、この三重から一人の青年が、日曜日の礼拝に参加されたことがありました。『富士五湖の街に出張に来たついでにお寄りしました。』と言われる素敵な穏やかな感じの青年だったでしょうか。戦前戦時中に、聖書信仰に立って、国家権力に屈しないで、立派に信仰を守り通された教会の牧師のご子息でした。近くの常葉神社への参拝を、早退をしてでも拒んだ小学生のいた群れです。伊勢神宮への修学旅行にも参加しませんでした。轟々の非難の中、妥協せずに、聖書に従ったのです。社会的に著名な教会人が、伊勢や明治の神社に戦勝祈願をした対極にいた群れです。

 同級生が勤めていたミキモトの〈真珠〉よりも、はるかに輝いていたのが印象的でした。絶対的な少数者の悲哀など、全く見せないで、神に従う姿勢には、驚くべき力が、上から与えられるに違いありません。〈非国民〉、〈日本人に非ず〉と言われたのですが、依って立っていた「神国日本」が、ついに戦争に負け、天皇が「人間宣言」をしてしまいます。

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 わたしが北から順序に取り上げている都道府県で、この三重県を忘れてしまって、本州から、福岡県に移る前に、思い出して、遅まきながらの掲載になってしまうほど、小さな県なのかも知れませんが、戦前の三重県下の小学生の選び取りは輝いているではありませんか。それほど注目されずにきた街にこそ、本物が見られるのでしょう。

 初めて、〈松坂牛〉のステーキを食べた時に、『こんなに美味いもんがあるのか!』と驚いた三重県なのです。県庁は津、県花はハナショウブ、県木は杉、県鳥はシロチドリ、人口は174万です。律令制下では、伊勢国、志摩国、伊賀国で、天皇家の祖を祀るという歴史的な背景があって、重要な地でありました。そういえば伊賀は、〈忍者の里〉であって、そこには今でも忍者屋敷があると聞きます。


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 下の息子が、5歳くらいの頃に、おばあちゃんに作ってもらった、忍者装束を着て、田んぼのいねの間から、ヒューっと出ては、忍者になりきっていたのです。ある聖会に招かれた時、この子を連れて行きました。その忍者服を着て、おどけて見せて、みなさんの人気の的だったのです。

 中京工業地帯に位置する四日市には、日本最大の石油コンビナートが、1960年頃からの高度成長期に、国の主導で誕生しています。その誕生と共に、四日市公害で、学童たちの喘息発生が、大きな社会問題とされたのです。大気汚染を生み出した、経済優先、国力増強の負の遺産と言ったら良いのでしょう。

 「奥の細道」の松尾芭蕉、「古事記」の研究者の本居宣長などを生み出した県として有名です。真っ直ぐ、東名を走ると、京都や大阪や神戸、その先の岡山や九州に目が向いてしまって、名古屋から、なかなか脇道にはそれないのです。伊賀上野に知人がいて、お邪魔したことがありました。もう何年も何年も前のことになります。

 熊野川の上流には、杉の木が生い茂って、江戸時代から、上質の建築材の宝庫として名を馳せていました。今では外国の木材の輸入が主流になってしまっていますから、筏流しが行われるようなこともなくなっているのでしょう。熊野の地には、「熊野古道」という道があって、鬱蒼とした杉林を眺めることができるそうです。

 

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