アメリカとわたし

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 今年も、〈八月〉が行こうとしています。終戦七十七年、わたしが八ヶ月の時に、日本は無条件降伏をしています。真珠湾を奇襲攻撃したのが、すぐ上の兄が生まれた昭和16年の年末でした。日本軍が米英に宣戦布告して、あの太平洋戦争が始まった時、この戦争に反対したのが、後に海軍最高司令長官となる山本五十六でした。

 彼は若き将校時代に、まだ親交のあったアメリカを訪問したことがあったのです。その折、テキサスの大油田と五大湖周辺の大工業地帯を見て、その規模の大きさに圧倒されていました。物量の多さと工業技術水準の高さは目を見張るものがあったからでした。

 その印象を思い出して、この戦いに勝つことは決してできないと、反対をしたわけです。ところが、ひとたび開戦が決まってしまった時、海軍の有能な軍人として、彼もまた参戦して行きました。

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 わたしは、次女の卒業式に出席した後、二人の娘と一緒に、オレゴンからワシントン、アイダホからモンタナ、そしてワイオミングと、5つの州を車で訪ねたのです。その道々感じたのは、アメリカの大農村部が、実に近代的な大規模・機械化農法で農業が行われている様子に驚かされたのです。

 すでに映画や写真で見て知ってはいましたが、この目で見たその大きさは圧倒的でした。この農村部の豊かな生産物が、工業地帯や都市部の必要を十二分に満たしていると言った、食糧の自給ができる国であるこを知らされたわけです。山本五十六は工業の立地国としてのアメリカに驚かされたのですが、わたし は農業立地に目を見張ったのです。  

 そればかりではなく、大都市以外のアメリカの農水産などを担う90%以上の地域で、勤勉に働いて、税を収める多くのアメリカ市民が、この国を支えているのも知ったのです。彼らは、週の初めの日曜日には、教会で礼拝を守って、「神の国」を第一に求め、週日は、食卓を囲んで、家族のため、近隣のため、国のため、世界のために祈る、忠実な市民がいて、この国を支えているのが分かったのです。

 その旅行の時に、私を導いてくださった宣教師が教えてくれた、「アメリカが崩壊しない3つの理由」を思い出したのです。1つは、建国の父たちの祈りとその祈りを祈っている現代のキリスト者たちの存在、2つは、献金をささげて、多くの宣教師を海外に送り出してきている宣教、3つは、アメリカの使命や存続のために海外のクリスチャンたちが祈っている祈りだそうです。

 そのアメリカで、わたしたちの四人の子どもたちが学ばせていただいたことに、心から感謝するのです。彼らが学びつつ教会生活をさせていただいた教会と牧師さんへの感謝をこめて、そのアメリカ北西部にある教会を訪問した時、この教会の牧師さんが、その日曜日の礼拝で、証詞をする機会を与えて下さったのです。何をお話しようかと考えていました時に、《自分の今とアメリカとの関連》について話すことにしました。

 わたしは、アメリカから来日された宣教師が建て上げられた教会で救われたこと。その後任の宣教師が、母教会から100キロメーターほどの距離で、開拓伝道をされると言うことで、開拓地を選ばれました。そのお手伝いをさせて頂きながら、私は伝道者となるための訓練を受けたこと。聖書の読み方や解釈の仕方、説教の仕方も伝道の仕方も、家内の愛し方も、この宣教師から学ばせて頂いたことを感謝をお話ししました。

 そして、戦争が終わった後、この国から送られた「ララ物質(LARA; Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)」から贈られた、滋養に富んだ粉ミルクを飲ませていただいたこと。そして、この国で作られた映画を観て、夢が育まれたこと。とくに、ジェームス・ディーンが主演した「エデンの東」や「理由なき反抗」や「ジャイアンツ」などを何度も観たことを、話したのです。感謝は、人を激励するのでしょう。

 当時のアメリカのブッシュ大統領の愛読書と、家内とわたしのものとが同じで、読者仲間だと言うことを知って、彼のために祈っていました。あれから何人もの大統領が交代していますが、混迷を深めている世界情勢の中で、正しい舵取りと、正しい判断を下すことと、相応しい助言者が与えられること、何よりも神を怖れる指導者が立てられるようの願い続けている、2022年の夏の終わりを告げるような虫の音がする夜半であります。

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