一番美味しかったかな

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 驚かされるのが、ここ栃木市に珈琲店が多いことです。全国展開をしている珈琲屋が、今にぎやかです。気取っていない庶民的な空間、そしてメニューで人気を博していて、たまに、モーニングを孤食するのですが、学生の頃に、よく行った、JR駅前の〈ルノアール〉とは違って、椅子もテーブルも簡素でスッキリし、座り心地と居心地がよく、珈琲もおいしく、アンコの好きな自分には、老いのひと時の楽しき孤空間なのです。

 華南の街の古街が、瞬く間に都市観光整備で新しくされ、その道筋に、「星巴克(スターバックス)」ができて、おおにぎわいでした。建物も客も中国風ですが、そこに息づいているのは American culture で、中国語が聞こえなければ、まさにアメリカにいるようで、珈琲の値段もアメリカンだったのです。

 どこも同じで、卓上にパソコンを置いて、睨めっこをする若者、友人と来て無遠慮に大声で話し合うグループがいるのは特異で、雰囲気はロサンゼルスのStarbucks そのものでした。日本が米化をしていったように、その動きを中国も免れていません。ただ、スプーンで珈琲を口に運んで飲む人がいて、気になりました。どう飲んでもいいのですが。

 さて、宣伝がましいのですが、わたしが時たま行くのは、「コメダ珈琲店」です。散歩の途中や自転車で買い物の折に、チョコっと寄るのです。時には調べものをしたり、聖書研究をしたり、ブログを作ったりもします。

 二人席に陣どって、コンセントにiPad をつなぐのです。隣のbooth が気にならない、まさに自分の席になって、美味しい blend を飲みながら、トーストに餡子を載せて食べると、小ゼイタクをしているようですし、家で自分で入れて飲むのとは趣が違って、時には好いのです。

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 先日、自家焙煎のコーヒーをいただきました。ご自分で豆を買って炒るのだそうです。そこまで通の方がいて驚きますが、京都の若き友人が、先日も送ってくださって、アフリカの自然栽培のウガンダ産の豆が、気に入ってしまっています。でも、四つ葉生協で注文したりで、いつも産地も違っていて、そんなに拘っていません。

 初めて飲んだ時が、いつだったか覚えていません。父や母や兄たちや弟が、家でコーヒーを飲む姿はありませんでした。だれかが買ってきて、インスタントコーヒーが飲まれるようになった日は覚えていません。学校に行くようになってから、苦い飲み物に、ミルクと砂糖で飲み始めたと思います。自分で淹れて飲むようになったのは、一緒に働かせていただいた宣教師さんの《たった一つの贅沢》だった “ Blue mountain ” を、彼が淹れてくれて、ほんとうに美味しかった頃からです。それ以来、Blender を買って、自分で豆を挽いて、No milkNo sugar Mug (和製英語はマグカップ)の珈琲党になったのです。まだ買う豆はブルマンにはなっていません。

 『むかしアラブの国のお坊さんが・・・』と言う、Coffee rumba という歌を聴いて、珈琲の起源がアラブにあると思っていたのですが、やはりアラブで始まった飲み物だったそうです。初め苦くて大変だったのが、炒り方、淹れ方、飲み方が、工夫されていったのでしょう。今や世界中で飲まれるようになって、ここ栃木には、我々世代の珈琲党が大勢おいでです。

 戦争が終わって、アメリカの生活様式が入り込んできて、このコーヒーも、American の薄めの Coffee になったと思ったのですが、喫茶店のものは、実に濃かったのです。あの宣教師さんは、喫茶店に入ると、もう一カップのお湯をもらって、それで割って、嬉しそうに飲んでおいででした。でもこの方の入れてくださったのが、一番美味しかったかな!
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