担い背負い救うとの約束

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 このblogで、話題に取り上げるのが、昔の話ばかりになっている昨今、お許しください。何か trouble が起こった時に、どなただったかが、「団扇(うちわ)」をイラストにして、書き送ってくれた方がいました。そのトラブルを公にしないで、「内輪」にして済ませて欲しいとの願いが込められていたのです。

 まだ血気盛ん、舌鋒鋭い時でしたから、問題が大きく、公にならないような知恵が、わたしに求められたのです。了解したわたしは、本物の団扇であおいで、血気を下げた記憶があります。

 華南の街で出会った息子の世代の伝道者が、コロナ禍で大陸伝道もままならない昨今、関西圏の街で、牧会されておいでなのです。厳しい暑さの今夏、激励の聖句で、盛夏見舞いに、この団扇を送ってくれたのです。

 二十数年前になるでしょうか、中国の東北地方の街で働いていた同労者から、『困難な状況下のみなさんに、古着でもいいですからお届けください!』と、訪ねようとしていた私に要請がありました。大きな段ボール3個に古着などを詰めて、空港に着きましたら、税関吏に、脇の部屋に連れて行かれ、『どうして、こんなにたくさんの古着を持ってきたのですか?』と聞かれたのです。小一時間やり合いまして、結局、“ OK ” が出て、段ボールごと入国が許されたのです。

 その時、日本企業のみなさんの集いが、外国人居住区の家であって、わたしに話すように頼まれたのです。そのみなさんの中に、この〈団扇の人〉がいたのです。家内はよく覚えていたのです。この方は、この街の学校に留学されておいででした。

 なぜ中国に留学していたのかと言いますと、若い時に、集会で外国人講師から、青年たちへの語学学習の challenge があったのだそうです。その挑戦を聞いて、彼は中国語を学び始め、さらに留学しておいででした。日本で伝道を始め、牧会伝道の傍ら、中国の魂への重荷が与えられ、その宣教の道が開けて、長年、その聖書講解を、多くの街で続けてきていたのです。

 その旅の途次、わたしのいた街で、奉仕があって訪ねて来られて出会ったわけです。箴言226節に、

 『若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。

とあります。備えをすべき青年期に備えた結果、そんなに素晴らしい奉仕の機会が開いたわけです。この方は、2つの団扇と、最中と、〈Rwanda Coffee〉を、コーヒー好きなわたしに、古都の京から送ってくださったのです。よきお交わりに感謝して。

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