正月に「お雑煮」、春に「カツオ」食べた日本人は、秋になると「秋刀魚(サンマ)」を食べて、食べ続けて、それぞれの季節を感じながら生きてきたと言えるでしょうか。この秋刀魚も、秋の食材ではなく、一年中、冷凍保存されたものが、売られているので、珍しくありません。
ただ、マルマルとイキイキしたした大きいの物は、これからの季節に出回るのでしょうか。炭火で焼いたのを、頂いてみたくなっています。子どもの頃は、ほとんどの近所が、モクモクと煙って、同じ秋刀魚を焼いて、夕食の食卓にのせられていたでしょうか。
父の家では、母が、七輪に火を起こして、網をのせて、その上で、秋刀魚を焼いて、決まって大根おろしをつけて、醤油をかけてくれました。どんな高級魚よりも、「目黒の秋刀魚」で、秋を感じさせてくれ、堪能させてくれた<庶民魚>でした。
お殿さまが、初めて秋刀魚を食した感動を伝える落語です。江戸郊外の目黒に狩に出て、焼き秋刀魚と出会うのです。いつもお毒味役が毒味をし、骨も抜き、冷え冷えと冷めたものしか食べられないお殿さまが、炭で焼いた、きっとジュウジュウと脂のはねるような、活きのよい秋刀魚を食したのでしょう。それで、『秋刀魚は目黒がいい!』となったのです。
華南の街の教会で、毎週、お昼が供されたのです。よく出たのが、秋刀魚をブツブツと切って、二口サイズにした物を、大中華鍋で油で揚げて、餡かけにした物でした。美味しかったのです。みんなでワイワイしながら食べたから、なおさら美味しかったのでしょう。
いつだったか、新鮮な秋刀魚を、「刺身」にして食べさせてくれたこともありました。初めての刺身秋刀魚は抜群に美味しかったのです。これは母ではなく、食堂のおじさんがでしたが。『息のいいのが入ったので、刺身にしますから、食べてみてください!』と、出してくれました。鯵も鰯だって美味しいしのですが、でも秋刀魚の刺身は格別です。焼き秋刀魚は、それ以上に特別です。
ここまで、キーを打っていると、唾液腺の活動が激しくなって、もう食べたくなってしまいました。この秋刀魚焼きの煙が目にしみた、高校時代のグラウンドも思い浮かんで参ります。いつでしたか長く住んで、子育てをした家で、ガスレンジで秋刀魚を焼いていた時、隣のおじさんが、『廣田さ〜〜ん・・・・・・!』と、怒ったのではないのですが、煙に巻かれて、そんな声がかかったことがありました。あのおじさんは、今も元気でしょうか。
最近では、台湾や中国の秋刀魚漁獲量が、日本を追い越して、日本は全盛期の<三分の一>ほどに激減しているそうです。美味いものを食べて頂くのを、共に喜ぶべきですが、ちょっと寂しい感じがしてしまいます。
アパートやマンションで、<炭焼き秋刀魚>は、もう無理でしょうね。車に七輪と炭とを積んで、魚屋さんで秋刀魚を買って、郊外に行ったらどうでしょうか。脂が乗り過ぎてたら、消防車が来てしまいそうですね。やはり、『秋刀魚は秋がいい!』のです。
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