強いのか弱いのか

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 ある人の生涯全体を評価する時に、「功罪」、つまり「功績」と「罪責」とが見られるのです。好いことをしたように見られた人であったのですが、その反面で、その真逆な生き方、思想、矛盾があったことが、歴史研究で知られてしまうことがあります。

  『私も弱き人の子であった!』と、プリンストン大学(神学校)を出て、社会事業に生涯を捧げて生きてきた賀川豊彦が、戦時中、自分の立ち続けてきた生き方、主義主張の節を曲げて、軍国日本への賛同に転じたことを、告白しています。日本が、軍事活動を活発化し、天皇の名のもとに、大陸に進出し、東南アジアに兵を送り、真珠湾を奇襲して、東洋の平和を守るという大義で、軍事活動を断行する中での侵略を是とする告白でした。

 当時、「きよめ派」の教会は、再臨信仰のゆえに多くの牧師たち、百数十名もが監獄に入れられました。その中で転向したり、獄死した人も何人もいました。それだけ厳しい尋問、拷問が、憲兵隊によって戦時下に行われていたのです。

 その憲兵隊に呼び出され、厳しい尋問の後に、賀川が書き残したのが次の文章です。

「『わが兄弟、わが骨肉の為ならんには、たとひ誼はれてキリストに棄てらる・とも、わが願ふところなり』 『国の為には、たとえキリストに棄てられても国に殉ずる覚悟がなければならぬ。国に殉ずる心根こそキリスト精神そのものである。苦難は新しき栄光である。死は勝利の緒であり、十字架は誇の冠そのものである。来れ、来れ、苦しみ、憂き悩みも厭はず勇み歌はん、国を愛する愛をば、愛をば』、死ぬべき時は今だ!君国為に殉じてこそ十字架精神を始めて高揚出来るのだ!血を以て真理を守ることを教へたキリストはアジア解放為に血を流すことを祝福しないではおかぬ。非法を以つて、真理をおおひ暴虐を以つて弱小民族を強奪するチヤーチルや、ルーズベルトをして絶対に勝利を得しめてはならない。血の最後の一滴までをも皇国に捧げよ!その血を捧ぐる時は今だ!真理を防衛せんとするものはその血を惜むな!十字架にのみ勝利はある。キリストの弟子は十字架を負いて皇国に殉ぜよ。』

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 人は追い詰められると、依って立ってきた 信仰の節を曲げてしまうほど弱い者なのでしょうか。その変節や転向について、戦後も触れずに、この人は生きたのです。神戸の新川の貧民窟で活動をし、ベストセラーとなった「死線を越えて」を書き、生活協同組合を起こした人でした。戦後、ノーベル平和賞、文学賞の候補になりながら、受賞できませんでした。

 わたしは若い時に、「死線を越えて」をひもときましたが、「カタコーム(地下墓所)の殉教者」という本も読んだのです。ローマ皇帝ネロによる迫害と殉教の物語です。永生の望み、キリスト信仰、復活信仰を持つ、ローマの信仰者たちは、キリストか皇帝の二者択一を迫られて、闘技場の中で、飢えたライオンの餌食にされるのですが、その死を恐れずに、信仰を守り通して、キリストを王として死んでいきました。

 ところが混乱や矛盾の戦時下の主張に触れず、戦後を生き、71年の生涯を、その賀川は終えていると言われています。わたしは裁くのではなく、事実を知って、弱い人である自分を誤魔化さずに、正直に生き、弁明しなければならないことは弁明し、謝罪をしなければならないことは謝罪して欲しかったのです。この方は、同窓の先学だからです。

 教会の歴史の一つの側面は、名のない夥しい数の殉教者を出し続けてきているということです。例えば、ポリュカルポス(使徒ヨハネの後継者でスミルナの教会の監督)は、イエスを呪えば釈放されると言われながらも、イエスさまへの信仰を曲げずに、殉教の死を選んでいます。ペテロもパウロも、信仰のゆえに殉教したと伝えられています。

 そんな時代が、わたしの時代に再び巡ってくるのでしょうか。そのような、官憲の迫りや脅しに、『自分は耐えられるだろうか?』としばしば考えながら、夜明けを迎えたことがいく夜も、若い頃にありました。『殉教には特別な恵みがある!』と教えられ、その時には、「恩寵の神」が、殉教者の冠を被らせてくださることを知って、今も、そう信じております

 地上の横暴な君主、その君主を利用する勢力が、どんなに猛り狂って、襲いかかってきても、万軍の主、王の王なる主に従うことが肝要です。共産ソ連の迫害を耐えたイワンのことを思い出しております。このイワンは、死の前に、第三の天に引き上げられ、死後に行く輝く永遠のいのちの世界を目撃して、その望みにあって、殉教の死の恐怖に耐えたのです。『耐えられない試練はない!』、からです。
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