Localな今

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 一昨日は、東武日光線の東武金崎駅から電車に乗車しました。行きは、市民の足の「ふれあいバス」を利用したのですが、帰りの利用だったのです。自動切符販売機に260円を入れて、久しぶりに乗車券を買って、落とさないようにしっかり握りしめていました。まさか栃木県人になることなど考えもしなかったわたしが、東武日光線を利用し、果物の買い出しに行って帰りの乗車などとは夢のようでした。浅草と日光を結んだ私鉄なのです。

 もう一つ「JR両毛線」があります。明治以降の殖産興業で、絹糸(けんし)が生産されて外貨を稼いだ製紙産業が、この県下でも盛んに行われていました。群馬県富岡にその国営の製糸工場があって、「生糸」が作られていたのです。この群馬と栃木両県では、「お蚕(おかいこ)」を飼って、繭玉(まゆだま)」を農家が作り、それを運ぶため、作られた生糸を横浜港で運ぶ貨物鉄道の〈ドル箱〉ではなく、〈円箱〉路線が、この両毛線でした。栃木駅は東武日光線、東武宇都宮線と同じ駅舎なのです。小山と高崎を結んだ路線で、高崎から八高線、横浜線でした。

 栃木に参りましてから四十数年ぶりに、定期券乗車をしたのです。家内の入院の見舞いででしたが、手でボタンを押して乗降するような路線に乗って戸惑いました。中央線や山手線の首都圏の主要路線しか利用してこなかったので、Local 線は、初めは「退屈路線」でしかなかったのです。

 乗り換え、乗り換えで上京し、帰りも同じでした。帰りは、段々に寂(さび)れてきて、利根川と渡良瀬川辺りまで来ますと、藪から狸が出てきそうな佇まいなのです。何か都落ちの平氏の気分でもあるかのように感じたのです。しかし利用するにつけ、その《ノンビリ感》、《ユックリ感》、《豊かな自然天然》が特上なものであるのを知らされたのです。

 夏前に、東武鬼怒川線、野岩(やがん)鉄道会津鬼怒川線の湯西川温泉駅を利用しました。まるで地下鉄に乗るようで、地下に platform があり、首都圏から100キロ以遠で地下鉄気分を味わえたわけです。薄暗いホームは、涼しく幽玄で、なんとも言えない雰囲気に満ちていて、退屈感よりも新鮮な気分を味わえたのです。

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 乗物利用は、若い頃は「速さ」、「安さ」、「知らない街の訪問」などでウキウキ気分でしたが、今はしっとりと、田舎風情を楽しめて、食べ物も空気も水も美味しい地方の恵みに感謝しているのです。ほとんど知らない人ばかりの栃木なのに、家内の闘病や散歩を通して、多くの人と出会い、夕食を一緒に食べる人も数人おいでなのです。

 最初の職場で、出張が多かったので、交通公社を利用するために、よく「時刻表」を見たのです。乗り換えのための接続などを調べるうちに、時刻表に嵌ってしまったのです。その職場をやめて、学校で教えるようになって、最初の年の担当科目は、「地理」でした。専門に学んだことがありませんでしたから、授業準備は、死に物狂いでした。今のように、ウイキペディア のサイト検索などできなかったので、指導書と首っ引きで、地図を広げたり、もう悪戦苦闘でした。

 それで、学校をやめても〈時刻表中毒〉の時期が長かったと思います。この時刻表と地図と聖書、そして「ハイデルベルク信仰問答」さえあれば、絶海の孤島でも生きていける気分でした。今も、本屋に行くと、時刻表に目が止まってしまいます。新幹線で地方が結ばれ、ローカル線が廃線になり、宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」などを読みますと、地方の路線や駅、そして旅情が消えてしまったようです。

 立川駅から、五日市線が出ていて、隅っこのプラットホームから蒸気機関車が煙を履いて停車している姿を覚えています。中央線は電化しているのに、奥多摩に向かうのは、煙るを吐く汽車だったのです。鉄道の旅っていいものなのです。

(野岩鉄道の湯西川温泉駅付近、夕闇の両毛線思川駅付近です)

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