オートバイへの思い

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 「オトキチ」、オートバイ狂やオートバイに魅せられて、ハンドルを握り始めた若者、買って乗ってみたいと思いながらも、親に頼めないし、手に入れることの叶わない自分、そんな子どもも若者も大人も、みんなを評して、オートバイに魅せたれた人たちを、「オトキチ」と言ったでしょうか。これも死語になっていそうです。

 昨日、YouTubeを見ていましたら、「月光仮面」 のテレビ放送の主題歌を、〈FORESTA(合唱グループ)〉が歌っていました。中学生の頃(1958〜1959)年に放映されていて、まだテレビが父の家にない頃に、どこで観たのか、「正義の味方」のオートバイに乗った主人公が格好よかったのです。

♬ どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ
疾風(はやて)のように 現れて
疾風のように 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう

どこかで不幸に 泣く人あれば
かならずともに やって来て
真心(まごころ)こもる 愛の歌
しっかりしろよと なぐさめる
誰でも好きに なれる人
夢をいだいた 月の人
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう

どこで生まれて 育ってきたか
誰もが知らない なぞの人
電光石火(でんこうせっか)の 早わざで
今日も走らす オートバイ
この世の悪に かんぜんと
戦いいどんで 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう ♬

 今の特撮には及びませんが、あの頃は画期的な番組だったのです。主人公の祝十郎が、実は月光仮面でした。弱気を助け、強きをくじく、「我らがヒーロー」だったのでしょうか、その後、多く登場するヒーローの原形でした。まだ高速道路などができる前でしたから、どこかの公園の脇の様な箇所を、爆音を上げて疾走する場面が、番組の始まりだったのです。

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 この月光仮面のオートバイは、アメリカ製のハーレー・ダビッドソンの「ナナハン(排気量700ccの大型オートバイ)」にまたがっていたのではありませんでした。高校生から譲り受けた、ホンダ製の小型バイクのモンキーには、自分は乗ったのですが、「メグロ」は憧れのバイクだったわけです。まだ五十年代んは、まだオートバイ産業が盛んになる前でしたが、でも、そのオートバイブームに火をつけたもので、その走りになった車種だったかも知れません。

 『いつか乗ってみたい!』と、同時の男の子は夢を描いていたわけです。今、この街の駅から来る道を、時々、爆音をけたたましく上げながら、走っている若者がいます。令和の代にも、いるのですから、このマフラーを改造したバイクの音は、窮屈な社会から枷(かせ)への若者の反発の思いを代弁している声かも知れません。

 「来た道」を思い返すと、反発心旺盛の頃に、さまざまな不協和音をあげて、大人のみなさんにご迷惑をかけていた自分を思い返して、今も苦笑いしてしまいます。「来た道」と、ちっとも変わらない、この若者の行動を容認している私なのです。

 それにしても、月光仮面の登場シーンを見て気付いたのは、『オートバイを乗り回すんだ!』と強く思い始めた、そのキッカケになったのが、あの場面だったのです。あの時代の十代の自分に、強烈な憧れを抱かせテレビ番組だったわけです。

 月光仮面の仮面の下の顔は、誰も見ていないので、『♬ どこの誰かは知らないけれど・・・』、『なぞの人!」と、主題歌が歌い出されたのです。この月光仮面を大瀬康一という俳優が演じたのですが、あのアメリカのテレビ番組の「スーパーマン」の日本版で、空は飛ばないのですが、オートバイをスピードを上げながら疾走する姿は、圧巻でした。仮面姿、変身が特徴で、その後のTV番組のモデルだったのです。

 そういえば、モーターの付いたものに、初めて乗ったのは、弟が友だちのお母さんからもらってきたスクーターでした。今は公団住宅ができ、それが壊されてrenewalさていますが、その元だった畑道を、弟と乗り合った時だったでしょうか。また高校のグランドで、同じクラブの仲間が乗ってきたスクーターに、目を丸くしながら跨いだ日がありました。あの時々の頬をなぜた風の感触が、なんとも懐かしく思い出されてなりません。

(ウイキペディアの栃木県那須烏山の工場で製造されていた名車メグロのオートバイ、ホンダ製モンキーです)

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