小遠足の思い出話

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『もろもろの花は地にあらはれ、鳥のさへづる時すでに至り、班鳩の聲われらの地にきこゆ。無花果樹はその靑き果を赤らめ、葡萄の樹は花さきてその馨はしき香氣をはなつ。わが佳耦よ、わが美しき者よ、起て出きたれ。(文語訳聖書 雅歌2章12-13節)』

 ローカル線の電車の運転手さん、市バスの運転手さんと、話す機会があり、人の移動の助けをしている仕事柄、興味深い話をお聞きする機会が多いのです。

 群馬県桐生市に、JR 両毛線の桐生駅を始発に、渡良瀬川の岸を走る電車の始発駅があります。1610年に銅鉱石が発見され、徳川幕府の直轄の鉱山として、その採掘を始めた足尾銅山を結ぶ電車なのです。そこで採掘された銅は、加工を経て、日光東照宮や芝増上寺の造営に使われたそうです。さらに、「鋳銭座」を設け、寛永通宝などの銅銭を鋳造したのです。

 明治期になって、鉱脈が尽きたのか、減産に減産を重ねていきます。ところが古河財閥の手で、新鉱脈が発見されるや、20世紀の初めには、日本の銅の40%を採掘していくのです。そのようなので中で、馬の背での運搬では間に合わなくなり、鉄道が敷設されるに至ったわけです。当時、栃木県下では、宇都宮に次ぐ人口の多い街として、賑わったのが、この足尾だったそうです。

 鉱山王のグリン・ビビアンが、クリスチャンとなって、世界中の鉱山で働く坑夫に重荷を持ち、各国にの鉱山の街に、教会ができるように、この方の遺産が捧げられ、伝道を開始していくのです。ここ足尾でも伝道が開始され、1908年に、キリスト教会が始まります。その教会の建物は、現在も、通洞駅近くにあって、礼拝のために使われていて、過疎になった街に、灯火をかかげ続けています。

 その鉄道が、民営に移管されてた「わたらせ渓谷鉄道」で、2020年の初夏に、私は利用をしたのです。その電車に乗って、上下線の待ち合わせ停車の時間に、運転手さんと話をしたのです。ローカル線の若手の方で、キビキビと運転され好感度満点だったからでしょうか、話しかけたのです。

 『みなさんには楽な仕事に思われるんですが、神経を大変使って、日頃運転しているんです!』、『夜間走行時には、カモシカや日本シカが線路上に出てきて、轢(ひ)いてしまうことが、3週間に一度くらいあるんです!』、それで質問を私がしましたrs、『事故処理は、どうされるのですか?』と、すると、『電車を止めて、線路上に降りて、自分でするんです!』と言っておられました。

 熊とかは皆無で、轢かれるには、逃げようとしない鹿だけで、どうも仕方がないことなのだそうです。渓谷美を見せる沿線では、そんなことが起こっていたのです。帰りは、通洞駅から、東武日光駅まで、日光市営バスに乗車しました。実に美しい、梅雨前の緑の木々の間を走り抜けたのです。また出掛けてみたい小遠足でした。

 足の銅山の公害があったことなど忘れさせるほど、渡良瀬川の流れも清く澄み、木々の緑も圧倒されるほどでした。ここも強者どもが夢の跡で、何事もなかったかのように、自然が溢れた静かな地でした。

 先日乗った市営バスの運転手さんが、『花いじりをした後は、年配者は、石を集めるのだそうです!』と、趣味の変化の話をされておいででした。ベランダに植木鉢が、今は溢れていますが、これから出先で拾った「石」が集められ、やがて置かれるのでしょうか。「収集家( collector  )」とは、年寄りのタイトなのでしょうか。

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 鏃(やじり)や土器のかけらを、家に置いていたことがあった小学生の頃を懐かしく思い出してしまいました。そろそろ入梅でしょうか。銚子港に、入梅いわしが水揚げされたとニュースが伝えています。

(わたらせ渓谷鉄道の車内、ウイキペディアのイワシの魚群です)

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