故郷への憧れで

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1 雨の日も風の日も 泣いて暮らす
わたしゃ浮世の 渡り鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
泣けば翼も ままならぬ

2 あの夢もこの夢も みんなちりぢり
わたしゃ涙の 旅の鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
泣いて昨日が 来るじゃなし

3 懐かしい故郷(ふるさと)の 空は遠い
わたしゃあてない 旅の鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
明日(あす)も越えましょ あの山を

 この歌は、「涙の渡り鳥」です。父の二十代の初め頃に、流行った歌謡曲でした。そんな古い歌を、中学生だった自分は、よく歌ったのです。父も母も、私たち子どもの前で、歌謡曲を歌うようなことはありませんでした。ただ、「主我を愛す」と「めんこい仔馬」を、父が、時々歌っていたのです。母は、讃美していました。ー

 ラジオを聴いて育ったので、聞き覚えで歌えるのですが、今頃になって、昔が懐かしいのか、「渡り鳥」のように、あちらこちらと引っ越しを重ねてきて、故郷も心理的に遠過ぎ、自家もなく、ただ思い出だけが、想いの中に駆け巡ります。出会った人々、訪ねた街が、とても印象的なのでしょうか。

 何度も書くのですが、外で喧嘩しても、『泣いて帰ってくるな!』、つまり、『泣くような喧嘩をするな!』と言うことだったのでしょうか。そうすると、勝って帰って来なければならないので、大変でした。自分に嫌気がさしたり、急に悲しくなったり、泣きたくなると、『泣くのじゃないよ、泣くじゃないよ ♯』を口籠もるのです。泣きの抑止力は、未だに効いているのです。

 そんな決心の自分でも、父が退院の朝に、入院先の病院で、退院の朝に亡くなり、母から職場に電話が入りました。その病院に、電車を乗り継いで行く時、恥も外聞もなく、辺りを気にするでもなく、ただ激しく泣いてしまいました。愛されたバカ息子だったから、なおのこと、その死別は厳しかったのです。

 『あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。(詩篇568節)』

 流した涙が蓄えられてあるのです。父と母のもとから自立して、仕事を始め、さらに天職と決めた仕事を辞めて、宣教師の訓練を受けて、故郷伝道のために故郷に戻ったのです。そこも、子育てを終え、六十代で、『mature なあなたたちは、若い人に自分の働きを委ね、新しい地に出て行きなさい!』との宣教師さんからの何年も前の挑戦を受けて、海を渡って、隣国に出かけたのです。羽のない家内と私たちは、飛行機に乗って出掛けたのです。

 居続ける予定でしたが、家内の発病と共に、帰国し、縁もゆかりもない栃木に住んだのです。次は、再び海を渡れるのでしょうか。それとも、「天の故郷」への帰還でしょうか。

 『彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。  もし、出てきた故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 (ヘブル111416節)』

 帰りゆく本物の故郷があると言うのは、なんと素晴らしいことでしょうか。出てきた故郷にではなく、「天の故郷」があるのです。日本で生まれたオオルリのような渡り鳥は、東南アジアへの渡りの間に死んでいくのでしょうから、生まれ故郷に戻ることなどできません。でも私は、思い出の生まれ故郷ではなく、「あてない旅の鳥」ではなく、《憧れの故郷》に戻れるとは、なんと言う「救い」なのではないでしょうか。

(GOOPASSの「オオルリ」です)

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