ブルーマウンテン

 私の師匠(英語ではMentor”でしょうか)の好物は、コーヒーでした。しかも高級品種の《ブルーマウンテン》だったのです。彼といるときには、必ず私の分もミルで挽いて 淹れてくれました。生活が安定してきたら、ブレンドや特売品でなく、『も、《ブルーマウンテン》を、いつか飲もう!』、これが夢で、今日まで生きてきました。ただ、そんなにびっくりするほどの値段ではないのですが、ケチに生きてきた私には、この贅沢をするのがギルティーなので、なかなか、『ブルーマウンテン、一杯!』と注文できずに、年を重ねてきてしまいました。こちらでは、安く手に入るかと思っていましたが、やはり手が出せないほどに高いのです。友人や子どもたちの援助で支えられている身分の私は、ちょっと《昔気質》なのかも知れません。娘に言わせると、『お父さん。もっと生活を楽しまなくっちゃ、犯罪を犯しているわけではなく、心を元気にできるんだったら、いいんじゃないの!』とハッパをかけられています。かといって、結構高いチョコレートなどは、家内に内緒で、こっそり買って食べているのですが。これは、多分まだ師匠を越せない自分を意識しますと、彼の好みには達してはいけないような気持ちがするのも、そうさせない1つの理由なのかも知れません。 

 日本に帰った時に、通販で何度か買ったことがあるのですが、このネット商店が、毎週のように《コーヒー特売商品》の案内を送信してきます。今朝の案内は、『ブルーマウンテン尽くしの福袋が買えるのは48時間限り!』と銘打ってきています。眠った子を起こすような誘いなのです。喉から手が出てきそうになって、本物の手で抑えてしまいました。『高級で香り高いから飲みたい!』というのではない、と思うのです。私を8年の間、忍耐して教えてくれた師が、きっと懐かしくて、思い出の回帰で、『飲みたい!』のでしょうか。一緒に飲んだ時の、何とも言えない幸福感、至福感を思い出したいのかも知れません。そういえば、私は結構ロマンティストなのかと思うのです。

 この方は、京都で仕事をしていました時に、発病して、《前立腺がん》で、2002年8月31日に、天の故郷に帰って行きました。この夏で10年になるので、時間のたつはやさに驚いています。ジョージアの片田舎の大きな電器店の御曹司で、大学の工学部を出て、空軍のパイロットをしていたのですが、日本にやってきて、彼の事業を展開し始めたのです。『大学の時に、休みで家に帰ると、父は、地下の冷蔵庫から、牛肉を切ってきて、ステーキを焼いてくれたものです!』とか『私と弟の遊部屋は、この家よりも大きかった!』などと、昔を懐かしんで話していましたが、それは決して自慢話ではなかったのです。日本では、ステーキの代わりに、たまに食べるマクドナルドのハンバーガーで我慢していたのでしょうか。

 新大坂駅のそばにある病院に入院していた師を見舞ったことがあります。その時は、コーヒーの一式をもっていませんでしたから、《ブルーマウンテン》のコーヒーパーティーはできませんでしたが、彼が三十代、私が二十代の8年間の思い出話をしました。小生意気で、短絡的な「破門」されても当然な私でしたが、私に、ほんとうに忍耐してくれたことを思い出して、深く感謝しました。日本人という民族性に固執して生きていた私に、民族を超えた《地球民族》の意識を植えてくれたのが彼だったのだと思うのです。井の中のような世界からの脱出だったのだと思われます。

 『若い方に後を託して、新しい地に出ていきなさい!』と、彼に挑戦されて、ここ中国に来て、この夏で6年になり、9月からは、七年目に入ろうとしています。昨日、学校の方から来年度の担当科目の打診がありました。そろそろ帰ろうと思っていた矢先、急に言われて、とっさに、《二つ返事》をしてしまいました。日本人として、ここで生きることにします。一昨日、熱を出して寝ていた家内を、友人が見舞ってくれて、『中国に来くれてありがとう!』と、家内に言ってくれました。そう、やはり、《ブルーマウンテン》を飲んでみようと思います。師が亡くなった年齢よりも、私のほうが年上になりましたから、もう頑なな《昔気質》など打ち捨ててしまうべき時なのでしょうか。

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