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『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16章15~18節)』
『遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。(ロマ10章15節)』
ロンドンに、「ウエストミンスター(Westminster)宮殿」があります。この街の象徴であり、いえ、イギリスの誇りと言ったほうがいいかも知れません。今は、イギリスの国会が行われるための国会議事堂に用いられていますが、元々はGreatBritain の国王の宮廷でした。
この王宮に隣接して、イギリス国教会の「ウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)」が、西側にあります。この5月6日に、チャールズ新国王の戴冠式が行われようとしています。また、ここには諸代の王や英雄や国家貢献者たちが埋葬されてもいるのです。
その中に、デーヴィッド・リヴィングストン(David Livingstone)も葬られています。
「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカに渡り、奴隷解放運動に尽力し、イギリス紙幣の10ポンド紙幣の肖像にもなっている人です。彼は、史上始めてアフリカ大陸を横断し、貿易ルートを開拓した人でした。
『私の探検の 目的は、どん欲で利己的な 人たちに アフリカの扉を 開いて 不公平に 利用され、荒れ果てさせることでは ありません。アフリカ全土に 福音を伝えられるように、宣教師たちのための道を 開拓したいのです。私の 求めているのは、ダイヤモンドでは なく、 人間の 永遠の魂なのです!』と、リヴィングストンは語りました。
後の10ポンド紙幣の肖像にもなった彼は、史上始めてアフリカ大陸を横断し貿易ルートを開拓しました。しかし探検中、感染症にかかりジャングルの中で亡くなりました。同行していたアフリカ人の従者のスーシとチューマは、この尊敬する主人をなんとか本国に還そうと遺体をミイラ処理にし、途中10人もの仲間を犠牲にしながらもなんとかイギリスへ届け遺体はウェストミンスターに葬られました。
私の母は、昭和初期に、カナダからやって来られた宣教師の教会に導かれて、十代の初めに信仰を持ちました。そこは、日本中の神が、神無月には参集すると言われてきた出雲でした。宗教の強固な地での宣教は大変だったに違いありませんが、福音に力があり、人々に受け入れられていきました。95歳で帰天するまで、母は信仰を持ち続けたのです。
義母も、戦後の混乱期に、マッカーサー司令官の派遣養成に応用して、来日した宣教師の配布した、「約翰伝」の分冊を読んで、その、伝道の中で、救われています。福岡で生まれ、東京で学び、結婚をして東京に住み始めて、そこで宣教する宣教師に導かれたのです。101歳で帰天するまで、信仰を守り通しました。
「救い」とは、イエスを「主」、「キリスト(救い主)」と信じ、告白することによります。それは「聖霊の働き」によります。
『ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。 (1コリント12章3節)』
イエスを信じて救われた人の中で、ある人は、宣教に召されるのです。神に遣わされた人たちによって、人は、イエスを主、救い主と信じるのです。リヴィングストンも、母を導いたカナダ人宣教師も、義母を導いたアメリカ人宣教師も、みな遣わされて、「福音」を宣べ伝えたのです。
幕末から明治にかけて、そして第二次世界大戦の後に、欧米諸国から、教会の主でいらっしゃる、キリスト・イエスさまの「宣教命令」に従った、多くの宣教師が来られました。日本のキリスト教会の礎は、そのみなさんによって据えられているのです。
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