ある人から、”maple syrup“ を頂いたことがありました。娘婿のお母さんからだったかも知れません。なんとも言えない甘さに、砂糖の甘さしか知らなかったわたしは、すっかり好きになってしまったのです。pancake にかけて食べると最高な味わいです。カエデ🍁の樹液で、北米産の物が品質がよいのだそうです。
あるところで、先日、陽陰の椅子に座って、そばにある木を見ていましたら、蟻が登り下りしていたので、木の幹と葉を見たらカエデの木でした。甘い樹液の出ている箇所があって、そこに蟻が行き来していたわけです。この蟻は、〈働き蟻〉で、食料の採取と運搬の役割を担っているのです。
ところが、蟻の中には、ロシアの大統領が好む「兵隊蟻」がいて、蟻の colony を守っているのです。巣を、敵の攻撃から守り、家族でしょうか、蟻の国を守備するために、任じられた集団です。普段は、一般蟻のように、いそいそと働くのですが、一旦敵が襲来すると、外敵を迎え撃って戦闘をし、仲間と国(巣)を守るのです。
この兵隊が、ロシア軍と違うのは、《専守防衛》の軍隊であることです。一般蟻の2倍ほどの体格の蟻で、頭や顎が大きくて、見るからに厳(いか)つい風貌をしているそうです。その軍務に従って、勇猛果敢に戦うそうです。
きっと厳つい番兵が、門に立っていたら、敵は尻込みしてしまうのではないでしょうか。わたしは平和の時代に生まれて、平和教育を受けた者でしたが、もし敵が日本に攻めてきたら、祖国防衛、母や父や弟を守るために立ち上がろうと決心していた若造でした。
わたしの同級生に、中国戦線に従軍して、戦後、共産軍との戦いのために残留した将校を、父に持つ友人がいました。このお父さんが所属していたのが、北支派遣軍第一軍でした。将校を含めた兵士が2,600人ほどいたそうです。
国民党軍の部隊として、戦後4年間共産党軍と戦い、550人が戦死した残留部隊でした。生き残った者も700人以上が捕虜となり、ようやく引揚げることができたのは、日本が高度経済成長の昭和30年頃だったそうです。
敗戦が決まると、司令部の上官たちは、その日のうちに、部下を置き去りして、飛行機で国外脱出を図って帰国してしまったのです。捨て置かれた残留兵は、高級将校からの軍命で残されたのに、戦後は、自分の意志、つまり志願の残留だとされたのです。それで、戦後補償されないまま打ち捨てられたわけです。
この残留兵を、「蟻の兵隊」と自虐的に呼んで、その経緯を本に著した方がおいでです。そしてその著書は、映画化もされているのです。その残留兵を率いたのが、わたしの友人の父君でした。中国の「百度検索」で調べると、お名前も軍歴も戦後の動向も記されています。お父さんは、山西省の地から帰国することなく亡くなりました。
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さて、軍帽を被らない、戦車に乗らない、銃を担がない兵隊がいるのです。パウロが、共に宣教の業に携わったテモテに書き送った手紙で、次のように言っています。
『キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。(2テモテ2章3節)』
『あなたはキリストの兵士だ。立派に軍務に就きなさい!』との意味を含めて、激励しています。この「兵士」は、英語のキング・ジェームス訳では“ soldier ” 、漢訳聖書では「精兵jingbing 」で、キリストの軍隊の兵卒なのです。そう言うパウロも、霊的な戦いをして、異教世界、闇の世界と対決をしながら、司令官の聖霊なる神に導かれていたのです。わたしは27歳の妻子持ちの身で、志願して、この軍隊に入隊しました。アメリカ人司令官の従者として、戦線に立ったのです。
軍服も、勲章もありませんでしたが、ただ「誇り」だけはありました。家々を訪ねても、歓迎されませんでした。ある前線では、取り立てで切り刻んだトマトに、山盛りの砂糖をかけたものを振る舞われたことありました。でも、ほとんどの場合は嫌われたのです。石を投げられて、額を割って、鮮血を流した兵士もいました。
いえ磔(はりつけ)にされ、火に焼かれ、水に沈められ、剣で刺し貫かれ、銃殺されて果てた、主の兵士たちが、大勢いました。でも彼らは、神の国の門口に立つ門番であり、兵士なのです。やがて、彼ら忠臣な兵士たちは、永遠のいのちに蘇り、キリストと共同の相続人とされるのです。
(「兵隊蟻」、「福音を語るパウロ(キリスト教クリップアート)」です)
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