なでしこの如くに

 “ TOKYO2020 ” の女子ボクシングで、日本選手が金メダルを取りました。「大和撫子(なでしこ/可憐で清楚さをたたえる花になぞらえています)」と呼ばれ続けた日本女子が、相手を殴り倒して、栄誉を手にしたのを、単に喜べなかった元日本プロ野球選手が、『お嬢ちゃんが・・・』と言ったことが、進退問題にまで発展しているようです。

 私には二人の娘がいまして、Sports が好きで、バスケットボールやテニスボールなどを彼女たちはやっていました。国体やオリンピックには届きませんでしたが、楽しそうにしていたのを覚えています。娘たちが、『お父さん、boxing をやりたいんだけど?』と言ってきたら、『絶対ダメ!』と、即座に言ったに違いないのです。

 古代オリンピックにも、この boxing があったのです。今は、globe を手にして戦うのですが、鋲(びょう)付き手袋を拳に装着してでした。つい先ごろまでも、素手でやっていましたが、〈危険〉と言うことで、柔らかな皮革で作ったものを拳につけて闘うようになっています。しかも裸ででした。

 その古代の boxing は、奴隷が戦っていました。今の闘牛とか闘犬と同じで所有者が闘わして、ヤンヤの喝采を上げながら観戦しての娯楽でした。3分間、15round を戦うのではなく、相手が死ぬまで戦わせる、そんな闘技だったのです。

 これがスポーツになって、競技規則の中で行われ、近代    Olympic の競技に入れられた経緯があるのです。これが反対の理由です。父親なら、自分の娘に boxing をさせるのを躊躇うのは、おかしいことでも揶揄されたり、非難されることではないのではと思うのです。みめ麗しいご婦人にはしてもらいたくありません。

 そう言った張本勲氏は、広島に落とされた原爆の被爆者だったことを、ずいぶん時間が経った後に、ご自分で公にしています。幼い日にお父さんは病死をし、お母さんの手一つで育てられています。学徒動員で工場で働いていたお姉さんは、原爆で亡くなったそうです。辛苦勉励の末、野球で大成した人です。前人未到の記録の保持者なのです。この方の女性観は、お母さんやお姉さんたちの生き方などと無関係ではなかったはずです。

 この私だって、どんなに規則があっても、相手と殴り合って競う 、たとえ近代 sport  であっても、させたくありません。格闘技、特に空手などの拳を用いて闘う競技には、「殺意」があるのです。殴られると、殴り返します。殴り返さなければ、殴り倒されるのです。だから相手を倒すために、『殺意はない!』はずがありません。兄弟喧嘩をしてたって、手加減はしているつもりですが、悔しくって、殴り返す時は、勝つために渾身の力で拳をふるのです。

 押し止める力が働いて、最後の拳を放り下ろすにをやめさせられたことが何度かありました。それで殺人者にならないですんで今日があります。聖書に、『しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。(創世記48節)』とあります。人類最初の殺人は、兄が弟に「襲いかかって」殺したことでした。

 自分の拳を、時々見ます。何人もの人を、殺意を込めて殴ったものです。だから、私は、少年時代に、喧嘩に明け暮れた張本氏の言われること、そう言いたい心の思いを理解したいのです。別な言い方があったこととも思いますが、言葉で失敗しない人はいないのです。だから、張本氏の右腕を挙げて上げたい私です。

(ナデシコです)

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