見つけ出す喜び

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 「蹉跌(さてつ)」、青春期の挫折や、人生の躓きや失敗のことをいう、漢語です。「蹉」は、躓いたり誤ったり失ったりすることを意味し、「跌」も、転んだり躓いたり落ちたりすることを意味しています。「漢書・朱博伝」に記されています。高校生の頃だったでしょうか、『失敗は、成功の母。』ということばに出会って、失敗や躓きの多かった私は慰められ励まされ、それでも生きていこうと思わされたものでした。

 『あなたの探し物をしている時間って、とても多いように思うんだけれど!』と家内に、よく言われてきました。物の定位置管理が出来ていない私への彼女の四十年来の観察の結論なのでしょう。そう言えば、『あれは、どこだっけ?』とよく探し回っている自分に気付くのです。ところが、そう言った類(たぐい)の人間には、失った物を見つけ出す喜びが、人一倍あるのを知っていただきたい。また、もうあきらめていた物を見つけられる醍醐味もあるののです。ですから、物の置き忘れが、なかなか止まないのです。それは忘れ物をした副産物で、喜びも一入(ひとしお)です。これ、言い訳に聞こえるでしょうか。

 二人の息子を失った、お父さんの話があります。息子たちは、同じ量と質の愛で父親に愛されたのですが、まったく違う生き方・在り方を選択しました。自分の感情に従って、弟は遠い国に旅立ちます。父親に相談した形跡もありません。ところが兄の方は、父の家にいて、父に従って精一杯生きているように見えたのですが、彼も、弟の出奔と帰還とで、潜んでいた父への不満の思いが露にされます。日頃、父親に何でも話すことをしなかったからなのでしょう。弟は失敗と挫折と恥じの体験を通して、自分の未熟さを知らされます。その体験の真只中で、父親を思い出すのです。

 どの時代を生きる若者でも、共通して持っている権利があります。《失敗することの権利》です。だれも失敗しないで完璧には生きることは出来ないので、人は大体、失敗や挫折を通過して、大人になっていくのではないでしょうか。そうしますと、兄息子は、弟のような権利主張をしないで、生きてきた人だったことになります。自分の感情を無理やりに押し潰して、生きたのではないかと想像してしまいます。弟に遊び友達がいたように、兄にも友達がいました。でも、彼は友人たちとは、心を正直に開いて挑戦し合ったり、喧嘩をしたりがなかったんでしょう。だから《赦し》を学んだことがないし、『ごめん!』と言って《赦される》こともなかったのでしょう。放蕩の挙句、帰って来た弟を、責めない罰を与えないで、ありのまま赦して受け入れている父に向かって、厳しい言葉が、兄の口からほとばしり出ます。彼には、弟がまったく分かっていない。自分とは違った個性や過去を持っている弟を理解しようとしていません。彼は自分の物差しで弟を量るのです。
                                   
 このお父さんは、「死んでいた・・いなくなっていた」弟息子が、「生き返って・・見つかった」と違った見方をしたのです。それは父親でしか感じる事の出来ない極めて深い親情であります。自分の愛する息子を見つけ出したお父さんの当然の喜びが、どれ程のものであったかが私に、少し分り始めています。4人の子どもたちの父親にしていただいた私は、自分が失われた弟であり、頑なな心の兄だと示されるのです。兄息子は、この父親の《当然の喜び》を知るなら、弟をありのままで喜び迎え、苦しみを分け合い、弟を楽しみ愛することができるに違いありません。また駄目弟の部分を合わせ持つ私を、見捨てられないで、養い育ててくれた両親に、特大の愛を覚えるのであります。

 この週末に、この在華5年間の四度目の家に引越しを予定しています。日用品の他に、中国の友人たちが下さった物、友人や家族から送ってもらった物、『これ必要でしょう!』と娘に買ってもらった物、『マレーシア(フィリピン、日本)に帰るので、これを使ってください!』と残していかれた物、授業で必要な書籍やDVDなどが、相当量があります。どこかに無くなっていたものが潜んでいるでしょうか。また探し出して、見つける喜びを楽しめそうな七月最後の週であります。(7月26日記)

(写真は、いなくなっていた息子の無事の帰還を喜び迎える「父」です)

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