ゲンキンモッテコイ!

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太陽が昇ってくる前、暗い大空が白みかける明け方を、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、黎明(れいめい)、払暁(ふつぎょう)、曙光(しょこう)などと言ます。ここは東京よりも西に位置していますから、一時間の時差があり、北京時間は日本の標準時より一時間遅いのです。3年間住み慣れた我が家は、かつて領事館や商社駐在員や外国人教師たちが住んだ地域にあって、往時を髣髴とさせる煉瓦造りの家が立ち並んでおります。住み始めた頃に植えられたのでしょうか、今は大きく育った木々が鬱蒼として、暑い夏の日照りを遮ってくれます。冬には木漏れ日が頬にやさしく気持ちいいのです。私たちが住む住宅は、師範大学の教員の宿舎で、友人が新しい家に越されて、空いていたのを借していただいたのです。築30年の老朽化した80年代の煉瓦とコンクリートの4階建ですから、それなりに風情が残されております。街中を通っていますと、古い住宅街(「胡同hutong」と呼ばれていました)が取り壊されて、集合住宅や商業施設に作り替えられている昨今ですが、昔の面影が、どんどん無くなりつつあるのは残念なことです。日本の麦藁や茅で葺いた屋根の家が無くなっていった時期と同じような感じでしょうか。えもいない情緒が消えてしまうのは残念至極であります。

そんな地域で、けっこう高台にありますので、鼓楼のある街中と比べると2~3度気温が低いのだそうです。洪水の被害もなく一等地に違いありません。我が家は一階の一部屋ですが、6坪頬の庭付きで、この辺りではめづらい住環境を備えています。静かで涼しいのですが、湿気が多いのが玉に瑕(きず)でしょうか。その〈東雲〉に、毎朝飛んできて鳴き声を聞かせてくれる鳥があります。『朝です、起きなさい!』と言っているのでしょうけど、その声は家内には、『ゲンキンモッテコイ!』と聞こえ、私には、『ケンキンシロヨ!』と聞こえるのです。ちょうど犬の鳴き声が、アメリカ人には『バウバウ!』、日本人や中国人には『ワンワン(汪汪wangwang)」!』と、聞こえ方の違いと同じでしょうか。

今週末、引越しをします。友人と同じ職場の同僚が、ご両親の老後のために、田舎から出てきて住むようにと、2007年に出来上がった家を買われて、故郷の木材で内装した部屋なのです。先日見せていただきましたが、楠の木の香りが立ち込めて、家内はいっぺんに気に入ってしみました。これまで何人もの友人が、『ここはどうですか?』、『あそこはどうですか?』と見つけてきてくれては連れていってくださり、紹介してくれました。その日も、勤めている大学の近くに、教職員が多く住んでいるアパート群に、家を見に行ったばかりで、その後、『もう一軒みてみましょう!』と言われて訪ねた家だったのです。ちょうど私たちがこの街に来たばかりの頃に、買われたのだそうで、故郷を引き払わないご両親の故に、だれも住んだことのない家です。家の南には道路を隔てて公園があり、大きなイギリス系のスーパーマーケットもあり、近々、大きな商業施設が出来上がるように建設中でした。何か、『あなたたちが住むように!』と、天津から移り住んだ頃に備えられていたように感じて、感謝した次第です。

『もうしばらく、許される間、ここにいるように!』と言われたかのようです。この大家さんが、無欲な方で、低額の家賃でいいと言われるのです。願ったり叶ったりの《備え》に驚かされております。ただ一つ残念なことは、あの〈朝告鳥〉の声を聞けなくなることです。毎朝飛んできては、家内に〈げんきん〉を求め、私には〈けんきん〉を勧め続けた鳴き声とおさらばしなければならないのが悔しいのです。『住めば都!』、昔の人はよく言ったものです。コンクリートの壁で、石の床作りの部屋で、木の部分が虫に食われ、湿気が多かった部屋は、最初は戸惑いもなかったわけではないのですが、日本やシンガポールから帰ってくると、『ここが我らの巣!』という思いに満たされて、心から落ち着くことができたのです。学校出立ての若い青年が、『家を立てましたよ!』と誇らしく言うのを耳にし、横目で見ながら、家も建てることのない旅人で寄留者の生涯でしたが、借家住まいの楽しみが、こうやって味わえるのは、特権だと思っております。私も家内も、この世の旅路を終えたら、次に行く世界では、素晴らしい永遠の住まいに住むことができる、貧乏人の儚い夢かも知れませんが、そんな夢を見ているのです。その家を、私の本物の兄上が、自腹を切って、今、建設中で、その槌音が聞こえてくるようです。

新らしい家の近くにも、あの鳥の仲間が飛んできて、『歓迎歓迎!』と鳴いて歓び迎えてくれるような気がして、この週末が楽しみでもあります。中国で四度目、生涯で二十度目の引越しになりますが、〈引越し魔〉と呼ばないでください!(7月27日記)

(写真は、木に止まっている「シジュウカラ」です)

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