こい


 中学1年の時、18歳の神戸一郎という歌手が、「十代の恋よさようなら」という歌でデヴューしました。『俺、落合が好きだ!!』と男友達の間では言いながらも、メグちゃんの前に立って、直接そう言えなかったのが悔やまれますが、まだまだ恋なんて知らなかった純な中学坊主だったのです。『女の子を好きになる気持ちって、こういったことなんなのか!』と分かったのです。どんな歌詞かといいますと、次のようでした。

     好きでならない 人なれど 別れてひとり 湖に
     悲しく捨てる 男の涙  ああ 十代の恋よさようなら
     月の渚を さまよえば 帰らぬ夢を 慕うよに
     はぐれて一羽 なく水鳥よ ああ 十代の恋よさようなら
     恋の名残か 紫の りんどう風に 散る夜は
     瞼に沁みる ホテルのあかり ああ 十代の恋よさようなら
      (作詞:石本美由起  作曲:上原げんと 歌:神戸一郎  1957年)

 ところが、私の入った中学は男子校で、校庭の金網を境に向こうに女子部があって、男女別学の学校だったのです。同級生で女子部に入学した子がいましたが、顔を合わせても話しをしたこともありませんでした。お父さんは田舎町でしたが工場を持った社長さんで町の名士でした。その椅子を狙って近づくほど、まだ打算的ではなかったのです。バスケ部に入って、高校生や大学生と一緒にボールを追いかけていたころです。練習が終わって、駅までバスで帰ると、先輩がたびたびラーメンとかチャーハンをご馳走してくれたのです。北口の食堂に入ったときに、隣の席の若い客が、水を運んできた女子店員の手を、そっと握ったのです。そのモーションは実に見事でした。『ああやって握るんだな!』、『恋ってのは、こうやって始めるんだ!!』と実地訓練を受けたのですが、一度も握らず、実らずじまいだったのは残念なことです。はい。

 同じ駅から、女子部に通学する2年上の先輩がいました。この女性が、私の公称・初恋の相手です。ところが、朝一緒の時間帯に、電車に乗る高校生に横取りされてしまったのです。あっ、申し添えますが、これって遠くから指をくわえ眺めていた片思いでした。あんなに悔しかったことはありませんが、まだヒゲも産毛同然の子どもには、到底太刀打ちができずに、諦めざるを得ませんでした。神戸一郎が歌うように、湖畔で男の涙は流しませんでしたが。また女子部のバスケの高3に素敵な人がいて、これもまた遠くから眺めて憧れていました。何度か声をかけてくれましたが、卒業して、行ってしまいました。

 そんなこんなの散々の青春でしたが、私の一番好きな恋物語は、小倉の車曳き《松五郎の恋》なのです。酒、喧嘩、博打で、《無法松》と恐れられていた彼でしたが、竹馬から落ちて怪我を負った少年・敏雄を助けたことから、その父で、小倉連隊の陸軍大尉・吉岡小太郎と知り合います。吉岡大尉は、松五郎の男気(おとこぎ)に惚れ込んでしまい、身分を超えた友情の絆で堅く結ばれるのです。それ以降、彼のお抱え車夫となって連隊への送迎をするようになります。ところが、『俺に何かあったら、妻と子を頼む!』と松五郎に言って、大尉は急逝してしまうのです。その残された吉岡夫人と遺児を世話していくうちに恋をしてしまいます。一見荒くれ者に見える彼の切ない思いを告白するに至らず、内に秘めた恋が、私の中学時代の恋と繋がって、大好きなのです。この夫人も再婚話を断り続けるのですが、彼女も、また松五郎に心惹かれていたようですが。

 実らぬ恋で年老いた松五郎は、心臓麻痺で死んだ父と同じように死ぬのを恐れたのですが、彼も、また父の様にして亡くなります。その松五郎の行李の中の遺品を整理しますと、吉岡夫人と敏雄名義の貯金通帳が見つかるのです。素朴、純粋、剛毅、曲がったことが嫌い、これって明治の男の「質実剛健」の気質でしょうか。《男の純情》、うーん、《百年前の恋》、《明治の恋》っていいものですね!

 松五郎が車を曳いた小倉に友だちがいて、泊めてもらったことがあります。あれからもう何年も何年も経とうとしていますが、いまだに青いレモンの味が口の中に広がってくるのです!

(写真は、往年の銘映画スターの阪妻(阪東妻三郎)の演じた「無法松」です)

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