諭し

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これまで、大勢の人と出会ってきました。一度切りの方がほとんどでしたが、もう亡くなられた方も多くなりました。頻繁には会えませんが、親しく関わった方がいて、時にお会いすることもあります。出会いを意味する言葉に、「邂逅(かいこう)」があります。その意味は、『思いがけなく出会うこと。めぐりあい。 「三年振りで-した二人は/それから 漱石」』と、"ことバンク"にあります。

ニューヨークの学校の教師で、教え子が世界中にいて、彼らを訪問するために、私の恩師の事務所を、たびたび訪ねてきた方がいました。元ボクサーで斜視で、私の髪の毛を散髪してくださるほどに多芸でした。この方が、口を酸っぱくして、『金と名誉と女性に気をつけて、生きていきなさい!』と何度か言ってくれました。この方は、多くの人が、この三領域で失敗して、人生を棒に振ったのを見てきたから、誘惑に堕ちそうな若く、未熟な私に、言い諭(さと)してくれたのです。

先程、浜町の方を散歩して、帰りしなに、水天宮の交差点の際にある薬局で買い物をしてきました。その買い物中に、白色のスラックスで水色のシャツを着て、ハイヒールを履いた女性がいました。チラッと見ただけした(その割りには、随分多くの事が目に飛び込んだわけで、これが私の実態です)。買い物を終えて通りを歩いていると、その女性が、私を通り越して行ったのです。二度見る機会がやってきたわけです。

都会でハツラツと生きる女性でしょうか、だいたい、誘惑というには、こう言ったパターンでやってきます。おじいさんになったら、免疫ができて、なんて言えないのです。私が三十代の時に訪ねた、母とほぼ同年齢の方が、『私は、この歳になっても、女性を犯そうとしてやまない衝動に駆られる事があるのです!』と言われた事があります。それを聞いて、ほんとうに驚きました。

自分が、わざわざ車を運転して、この方にお会いしたいと思って、四国の愛媛にまで出掛けて、表敬訪問するほど、生き方にも思想にも優れた人格者でした。《達観》などないのだ、《免疫》などないのだと、この方は教えてくれていたのです。その正直さが好きでした。そう言った忠告者、優れた生き方をする人がいて、今日まで、道を外さずに、生きてこれたに違いありません。

これまで、限りなく危なっかしい生き方で、家内をハラハラさせてきたのでしょう。お金と名誉は、自分には、それほど誘惑の力は強くなかった様です。でも、湯浴みをする女性を見て、罪を犯し、その夫も殺してしまうほどに強烈な誘惑が、この世にあるのです。人生の成功に自惚(うぬぼ)れてしまってできる、<心の隙間>に入り込んで来るのです。ゴキブリ薬の宣伝ではありませんが、男などは”イチコロ"なのです。

会話も人格的な交流もなく擦れ違う人、自分に忠告するために、何かに押し出されて来る方、自分で好んで近づいた方、誘惑者も有益者も、沢山の方がいました。『机を飛び越え、椅子を蹴って、誘惑者の手から逃げた事があった!』と、生々しい体験談を語ってくれたあの方との出会いは、「思いがけなく会った」のではなく、絶対的な《必然の出会い》でした。あの方のヒゲが、懐かしく思い出されます。

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