神が禁止されたこと

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『あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。また自分の身に入墨をしてはならない。わたしは主である。(新改訳聖書 レビ19章28節)』

 ヘブル人、とは、「渡ってきた人」と言う、カナンの地の住民が、この一族を呼んだ呼び名だった、と聞いたことがあります。カルデアのウルが、彼らの出身地でしたが、神さまのことばによって、「わたしが示す地へ行きなさい」と、神さまに言われて、アブラム(後のアブラハム)が、やって来たのがカナンの地でした。

 風習や慣習の違った地で、彼らの生活に倣わないで、独自の生き方をしていくのですが、神さまは、カナンの地の言い伝えや因習に真似ずに生きるように願われたのです。その一つが、身体を傷つけることや「入墨」でした。宗教的な祈願や決断によってなされる一切の習俗から、しっかりと距離を置いて、離れるように命じたのです。

 私が育てられた父の家には、仏壇とか神棚とかお札とかの宗教用具が、全くありませんでした。父は、子どもの頃に、育った街の教会に、父親に連れられて、日曜学校や礼拝に出席していたそうです。また母は、14歳で、カナダ人宣教師家族との交わりの中で、クリスチャンとなっていました。

 そんな関係からでしょうか、日本的な行事などには、参加することがありませんでした。ただ私は、興味があって、友人の家の仏壇や神棚を見に行ったことがありまし、街の祭礼や神社に行ったのですが、礼拝行為を一切しなかったのです。母に言われたからではなく、自分で、そうしたのです。

 長く過ごした隣国には、五千年の歴史があると言いますから、唯物論の国で、『宗教はアヘンだ!』と言われながらも、様々な宗教的な習俗が残されていました。華南の街のあちこちに、祠(ほこら)があり、香が焚かれ、蝋燭の火が灯されいました。強固な伝統的な信心が、人々の間には残されていたのです。

 最近目に付くのが、スポーツ選手のファッションなのでしょうか、腕や襟首に、タトゥーが見られます。日本人の有名選手には目立ちませんが、二の腕や胸部、腹部、背中、足首などに入れているとも聞きます。その boom の理由としては「何かを忘れないようにしたり、誰かをたたえたりするため」が69%、次が「自分の信念を示すため」の47%、その次が「見栄えがよくなるから」が32%だと調査されています。

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 男気の表明なのでしょうか、若気の至りなのでしょうか、若い時に体に入墨をした頃には、肌もハリがありましたから、粋だったのでしょう。ところが昔、銭湯で見かけた、お爺さんの物は、元気のない龍や獅子だったのを覚えています。そんな時の経過、加齢など想像もつかない若者たちの間に、今やboom を煽られて流行りつつあるようで、とても心配です。ポルトガル代表のサッカー選手、クリスティアーノ・ロナウドは、『献血ができなくなるから!』との理由で、タトゥーを入れずにいます。

 映画が、斜陽になりつつあった六十〜七十年代の映画界が、社運をかけて、任侠路線に打って出ました。outlaw な映画作りに励んでいたのです。スクリーンは、刺青のon parade でした。スクリーンの上での見せ物でしたが、真似た若者もいたようです。でも、boom にはなりませんでした。でも、今や、ファッション化するほど、若い層の人たちに受け入れられています。

 身体髪膚これを父母から受くで、二親の命を継いだ身体を、墨で汚してしまうのは、親不孝と同時に、いのちの付与者の神さまへの不敬なのです。この時代の子どもたちは、どう思っているのでしょうか。とても心配なのです。私たちは、外面ではなく、心の内面を飾る、つまり見せるためでなく、誇示するのでもなく、品性や人間性を高めるべきなのでしょう、外見もです。

( Christian clip arts によるアブラハム、ロナウド選手です)

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