令和日本米騒動

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 あの騒動を知らなかった私が、行きつけのスーパーマーケットの米売り場の棚に、5kgの袋が一つあるのを見ました。『よく売れるんだなあ!』と感心していたら、南海トラフ地震の警報注意が発せられて、家庭への必要以上の備蓄が行われたのが原因だ、と知ったのは、その日の夕方でした。

 無くなる頃に買い求めて、何不自由なく、一日One cup の米に、十五穀米を、小さなcup 一杯で、毎朝炊くのです。魚を焼いたり煮たり、肉を焼いたりして、それにお味噌汁、ホーレン装や小松菜のおひたしをし、カボチャなどの煮野菜、佃煮などで済ませます。

 残ったご飯を冷蔵庫に入れて、冷蔵し、夕食に、おじやを作ったり、お餅で雑煮をしたり、蕎麦を食べたり、最近では米粉の包まない餃子を食べる、そんな食生活を続けています。

 お昼は、野菜サラダ、卵を茹でたり目玉焼きにし、家内は芋類を茹でて、私は、パンやシリアルに牛乳をかけて、コーヒーを二人で飲みながら終えます。ほとんど外食はしませんが、宇都宮の病院帰りには、東武宇都宮店駅のフードコートの蕎麦屋に入って、月一度ほどお昼にするのです。

 二、三日分ほど残っていた米を見て、『どうにかなるよね!』と言ってたら、家内の散歩仲間のご婦人が、新米が手に入ったからと届けてくれたのです。久しぶりに、白米に、生卵をかけて食べてみました。美味しかったのです。また若い友人が、米売り場の前から電話で、『お米買ってお持ちしましょうか!』と電話をしてくれました。

 同じように、米が売り場に無くなった時がありました。宣教師さんのお供をして、開拓伝道のをし始めた年に、オイルショックがありました。トイレットペーパーも店から消えた年でした。なぜかあの時、何を思ったのか、煉炭とコンロを買って、自転車につけて家に帰ったのです。生まれたばかりの長男のおしめを乾かすためでした。

 米とかトイレットペーパーを見つけて帰るなら、まだマシなのに、必要のない物を買って、家内に笑われました。結局使わないままで終わり、どなたかに上げてしまいました。

 毎月の必要分でいるならば、潤沢にお米は世間に出回っているのに、パニックに弱い現代人は、買い漁りをしてしまうのです。あの時も米が消えてしまい、政府が、東南アジアから急遽外米を輸入した頃には、普段どうりに需要が、備蓄米で満たされたのです。あの外米は、廃棄したのだ、と後で聞きました。諺の『あわてる乞食はもらいが少ない!』を思い出した時でした。米騒動は、江戸期だけではなかったのです。

 日本だけと思っていましたら、ドイツでもイギリスでも、そう言った現象が、以前にありました。現代人特有の「不安の波及」が原因です。なければないで、どうにかなります。ある家だけ、元気で肥え太っていたら、痩せた欠乏者に、食べ物を狙われてしまうのではないかと、他人のことですが心配しているところです。

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 預言者エリヤは、カラスが、朝晩運んできたパンと肉に養われ、ツァレファテのやもめ(寡婦)の残された一握りのパン粉とわずかな油で焼いたパンで養われたのです(1列王17章)。この寡婦は、息子とふたりで、そのパンを食べて死のうとしていた分を、神の人エリヤに差し出したことで、家にあったかめ(瓶)にパン粉と油が尽きなかったのです。すごいテスト、そして、決断、報いだったことになります。

(ウイキペディアによる「新米」、「パンの一種」です)

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