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昨日は、長男家族が、〈ジジババの日〉に訪ねてくれ、「すき焼き鍋」を一緒に囲みました。みんなで食べると、さらに美味しいもので、感謝な昼食でした。今日は、連休明け、曜日に関係なく生きていて、毎日が、「敬老の日」です。
今朝も、「喇叭花lǎbahuā/朝顔」が10輪ほど咲いています。肌寒かったのが嘘の様に、また暑さを感じている、昨日今日です。週末には長女が単身で帰京します。いつの間にか、親が引っ越してしまった土地への帰還です。
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“ S、O、N、Y SONY “、テレビがわが家に入ってきて、民間放送局の番組には、広告(コマーシャル)が入って番組が放映される中、この文句のコマーシャルが、頻繁にテレビ画面に流れていたのです。と言うか、覚えやすかったのか、口を突いて出てきてしまうphraseだったのでしょう。
トランジスタラジオ、テープレコーダー、カセットテープレコーダー、テレビと言った電気製品が矢継ぎ早に作られ、製造販売されて行くのでした。当初、「東京通信工業」の設立者の一人、井深大(まさる)は、アメリカの「ベル研究所」が、トランジスターを開発したことをアメリカ訪問中に知ります。トランジスタの製造ライセンス契約に、同僚の盛田昭夫が成功して、日本で製造を始めたのです。
一時期は、この通信機器業界の牽引者の様な役割を担ってきた企業でした。私自身、発売当初カセットレコーダの一号機を買ったことがありました。その創業者の井深大は、栃木県人で、日光市の出身です。その祖先は、会津藩の家老の家筋だそうです。親戚には、飯盛山で自刃した白虎隊隊士の井深茂太郎、明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げ井深八重がいます。
一方、井深大のお嬢さんは、知的障害をお持ちでした。そう言った関係で、障害者が自立出来る機会を社内の生産部門に作られ、19781年に、大分県に身体障害者が働ける工場の「サンインダストリー(後のソニー・太陽)」を設立して、操業を始められたのです。この会社の理念を、『障害者の特権なしの厳しさで健丈者よりも優れたものを!』と、井深大を掲げました。
社会の弱者の視線で見ることのできる、企業経営者であることが、井深大の大きな特徴でしょうか。こう言った企業人がいたことは、栃木としては誇るべきだと思います。
(日光市の市花の「ニッコウキスゲ(日光黄菅)です)
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