浪花節風

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戦後史の中で、一冊の本の出版が衝撃的でした。「日本列島改造論」と言う著書で、自由民主党の総裁選挙を目前にした、1972年6月20日に、総裁候補の田中角栄が著したものでした。『工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地方分散” を推進すること!』を公約したのです。

これが “ 100万部 ” 近くも売れ、この出版が功を奏したのでしょうか、その直後の翌7月7日には、総裁戦に勝利し、第64代内閣総理大臣に選ばれ、就任します。

多く政治家の著書は、“ ゴーストライター ” が執筆するのだそうですが、この書も、自分の書いたメモから、書き進められたものだった様です。地方創生を旗印に、田中首相は、日本列島の改造を手掛けます。自分の出身県である新潟には、首都圏から新幹線や高速道路も作られていったのです。

何時でしたか、新潟に行きました時に、ガソリンスタンドの店主が、『角栄さんは!』と地元出身の総理大臣を褒めちぎっておいででした。日本海側を裏日本と言って、太平洋側と大きな格差があって、さらに過疎化が進んでいく最中、それを逆転してくれた大恩人自慢は、ロッキード事件の後でも、地元では、ものすごく強烈なものでした。

経済開発の候補になった周辺では、土地への投機がブームとなって、地価が高騰してしまいます。さらに物価が上昇してしまうと言ったマイナス面を産んだのです。結局、田中内閣は、1974年12月までの短命に終わってしまいました。高学歴でない庶民の出の田中角栄は、確かに魅力的な政治家だったのです。

功罪併せ持つ人でしたが、越後人だけではなく、多くの日本人の心をつかんだ人でした。驚異的な記憶力の持ち主だったそうです。自分の選挙区で、有権者に逢うと即座に名前、家族の年齢、悩み、仕事などを瞬時に思い出していた様です。どうしても思い出せない時は、『あなた誰だっけ?』と聞くのだそうです。相手が苗字で答えると、『もちろん苗字は知っているよ。名前を聞いているんだ!』と言ったのは有名な逸話です。

昭和の政治家としては、人心収攬(じんしんしゅうらん)の人で、浪花節風な人だったのでしょう。人の面倒見は抜群に好い人だったそうです。そんなこんなで、角栄旋風に煽られた若い私は、学校を卒業する前年、新潟県の教員試験を受けたのですが、見事に不合格でした。

([pixpot.netから]新潟県十日町市にある棚田です)
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