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戦後史の中で、驚いたことは、「あさま山荘事件」でした。『ここまでやるか!』、人としての限界を超えて、思想や主義主張のために、人が、これほど残忍になれるのかと思い、同世代の暴挙に驚いたのです。集団の持っている怖さは、ドイツのナチスのしたことで、人は学んだのですが,〈集団心理〉が煽られると、良心とか平常心が麻痺するのか、消えてしまうのか、悲惨な結果を残します。

これは、1972年2月19日から2月20日にわたって、軽井沢にあった、河合楽器の保養所であった「あさま山荘」に、反政府集団の過激派、「連合赤軍」が、人質をとって立てこもり、警視庁機動隊と長野県警と起こした事件でした。5人の犯人が手にしていた銃は、ここ栃木県真岡市の銃砲店から強奪されたものでした。

この様な犯罪者集団は、一致することなく、内部から崩壊して行くのが常です。権力闘争とリンチや粛清が繰り返され、疑心暗鬼に陥るので、社会の変革や革命以前に、内側から壊れ、崩れて行くのです。寝布団の中から、『洟(はな)をかむティッシュを取ってくれ!』と言った仲間を、〈資本主義的行為〉と言って殺してしまったと言う話を聞いたことがあります。それ以来、私は、人にものを頼むのに、気を使う様になりました。

60年安保闘争、70年安保闘争の中で、学生運動が過激化し、主導権争いをして、結局、このあさま山荘事件の後には、この種の革命運動は弱体化し、沈静化てしまいました。いまだに実行犯は指名手配中なのです。

1970年の2月だったでしょうか、ある学校から招聘されて、教師に採用されることになり、卒業証明書と成績証明書が必要になったのです。それで卒業した学校の学事課に行ったことがありました。都電通りから入った正門が、バラ線で巻かれていて、30センチほど空いていた正門をくぐった時、とても悲しい思いをしたのを覚えています。自分の麗しい過去が、トゲトゲの鉄条網で縛り付けられた様に感じたからです。

穏健な雰囲気を校風にした母校も、学生運動の火の粉を被って、殺伐とされていたのです。何も生み出さない暴力によっては、解決はきません。たとえ暴力で、彼らの目的が達成されても、やがて、〈時〉が来ると、同じ暴力で打ち壊されるのが常なのです。心の中に平和がない限り、平和は向こうからはやって来ません。

(浅間山です)
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乾いたパン

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戦後史の中で、驚いたことの一つは、「ベルリンの壁の崩壊」でした。〈寝耳に水〉と言うほどの出来事だったのです。欧州戦争が終わったあと、ドイツは、1949年5月に東西に分割され、ベルリンも西と東に分けられ、ソヴィエトとアメリカとの統治が始まりました。一国が分断されると言うことは悲劇でした。同じ様に、朝鮮戦争も38度線を境に、南北に分断され、ソヴィエトとアメリカの二大勢力の支配下に置かれたのです。

中国も中華人民共和国と中華民国とに分断され、日本も南北分断の危機があったのですが、それを免れたわけです。そう言った戦後史の中、突然(もちろんそこに至る予兆や前触れはあったのですが)、1989年11月9日に、ベルリンの壁が崩壊したと言うニュースを聞いて、驚かされたのです。

壁によじ登った市民たちの手にあるツルハシが、壁をうち砕いている映像が、テレビに映し出されたのです。これを契機に、東ヨーロッパ諸国が共産党支配から、連鎖反応の様にして抜け出して行ったのです。ルーマニヤのチャウセスク独裁政権が終わって、この夫婦の死体が、テレビで放映されていたのには、驚かされたてしまいました。
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歴史の出来事には、《定められた時》があるかの様です。その《時》が来ると、怒涛の様な渦の中で大きな変革がもたらされるのです。現在も、国際紛争が、あちらこちらにあります。民族と民族の戦いも、一向に止みません。〈いけない〉と分かりながらも、振り上げた手を下ろそうとしない、積年の遺恨が双方にあって、蒸し返してきています。

《世界平和》が、絵に描いた餅の様に、空虚な叫び声が、上がっては消えて行くのです。一番の懸念は、〈愛の冷却現象〉です。夫婦、親子、親族近親、友人関係が、利害関係の損得が大きな部分を占めて、犠牲とか我慢とかが消えてしまっています。憎悪や遺恨が心を一杯にさせ、愛が冷えてしまっているのです。そう言った人たちが、街にも国にも溢れています。

本来の愛は、大水をもってでも消せないはずなのに、冷却から抹消、暴力や殺人になってしまっています。動物は生きるために狩りをしますが、それ以上には至りません。「殺してはならない」と言う不文律を犯して、それが人類に入り込んだ日から、どれほどの血が流されてきているでしょうか。禁止の一線を超えてしまってから、土地は人の地を吸って、血が叫び続けています。

安心して帰って行ける家庭の回復を、子どもにも、大人にも、その必要が迫られています。私の愛読書に、

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」

とあります。一切れの乾いたパンを分け合って食べる家族関係の回復です。お腹が満腹にならなくても、心が、《思いやり》や《同情》や《優しさ》で溢れていた方が、人は幸せなのです。これは《原理》です。家も地域も街も国家も、肥え太って憎しむよりも、大切なものがあるからです。

霜降りの牛肉を、お腹いっぱい食べるよりも、優ったことに目を向けて行くなら、「平和」は来ます。必ず来ます。一人、一軒、一国でいいから、そこから始めたらいいのです。そして《今》始めたらいいのです。冷却や憎悪の壁を、ツルハシで砕くのです。