再会

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『友と教え子あり遠方より至る!』で、先週末、熊本を訪ねました。こちらの学校で教えた方が、長崎の大学に留学し、熊本の大学の大学院で学んでいる間、この友人を、彼に紹介し、しばらくお世話してくださったのです。2ヶ月ほど前に、長崎の大学の大学院に進んで、環境保護を専攻しているそうです。

それで、五日の日曜日に、熊本の友人の所で会おうと、私が提案し、彼はバスで、4時間かけてやって来て、最寄りの駅で落ち合ったのです。久しぶりの再会でした。とても好い青年に成長されていて、日本語も上手になっていました。午前中、一緒に過ごし昼食をご馳走になり、午後も、友人の家の客間で交わりをして、『また会いましょう!』と約束して、夕方のバスで長崎に帰って行きました。

彼が帰った後、友人夫妻と「積もる話」をし、"とんかつ"を夕食にご馳走になり、『宿をキャンセルして、僕の所に泊まって!』と勧めてくれたのですが、市内の宿に車で送っていただいたのです。翌日、宿に迎えに来てくださって、去年の地震で崩れ落ちた熊本城の城壁の様子を見せていただきました。その石に、番号が朱書きされていて、気の遠くなるような作業をして、復元するのだそうです。

その後、どんどんと消えて行く市内の古書店で、残っている古書店のうちの二店の書棚を眺めて、お昼は、日航ホテルのレストランで、フランス料理をご馳走になりました。彼は、二十代に出会って、四十数年来の友人なのです。何度も何度も行き来した朋友です。彼の倶楽部のこと、他の友人たちの様子や消息など、私のことなどを話し合いながらの食事でした。

"気心が知れた仲"というのは、実に好いものです。幼馴染ではないのですが、社会的な責任を負った青年期に出会い、どれほど彼に啓発されたか知れません。互いに白髪になり、体にも不具合を覚える年齢になっても、交わす話の話題は、二十代のころと変わらないものがあるのには、不思議な思いがしてきました。

食事の後、熊本地震の震源地の「益城町(ましき)」に連れて行ってもらいました。活断層の上の被害は酷かった痕跡がうかがえました。ただ、幹線道路沿いは復興されていますが、まだまだの現状のようです。豊肥本線の鉄路も、国道も、復旧の見込みがつかないほどの被害なのだそうです。JRのローカル線の復旧には莫大な経費がかかり、その目処さえつかない現状のようです。彼の書斎の本も崩れ落ちたりだったそうです。

温泉にも連れて行ってもらいました。何度も"裸の付き合い”をして来て、阿蘇の近くの源泉の湯は、とても好かったのです。夕食は、奥様の手料理で、美味しかった!短い交わりでしたが、充実した時を持って、空港まで送ってもらい機上の人となった次第です。友も教え子も、実に好いものだと、再認識させられた素敵な旅でした。

(地震以前の熊本城です)
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朝顔

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このブログの調整中に、失われた記事がありました。ちょっと残念ですが、そんなに大切なことでもありませんから、また投稿を続けたいと思っています。

今朝のベランダの朝顔です。忠実に、私の留守中も、咲き続けていました。2週間の日本滞在でしたが、お陰様で友人たちや兄弟、子どもたち、嫁や孫にも会うことができ、市民としての義務や申請もできました。もう少し帰国の時間が欲しかったのですが、これでちょうど好いのでしょう。

中国に降り立って、昨日の午後は、27℃も気温があって、驚きでした。
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天津にて

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ここ中国での、強烈な印象の1つは、天津の外国人アパートの8階に住んでいた時のことです。天塔と呼ばれていたテレビ塔の傍の「紫金山路zijinshanlu」をしばらく歩いたところにあったアパートです。最上階の南向きのベランダから、山一つない平地がずっと彼方まで見えるのです。如何に中国大陸が広大であるか、栃木から関東平野を南に見た比ではありませんでした。

窓の外には、「暖气nuanqi」という冬場の暖房用の給温水を温める、ボイラーの煙突が見えていました。石炭を燃やしますので、冬場は真っ黒な煙が立ち上っていました。そのベランダから、朝、東から日が昇ってきて、夕方は西に落ちて行くのが眺められるのです。その夕陽が落ちて行く光景に圧倒された私は、いつも夕方になると、それを眺めていました。

「星の王子さま」ではないのですが、夕日が落ちて行く様というのは、ちょっと寂しいのですが、あんなに重そうな太陽が沈んで行くというのは、実に神秘的なのです。そして翌朝になると、決まって逆の方角から昇ってくるのです。まだ「釣瓶落とし」のように日は落ちて行きませんが、『一日ご苦労様!』と言って上げたい気分に、いつもなります。

今日は、手が空いたので、洗濯物を取り入れたのですが、ベランダには金木犀の香りが秋風に乗って漂ってきて、いよいよの秋だと思わされております。よく歌った歌に、作詞が中村雨紅、作曲が草川信の「夕焼け小焼け」があります。東京都下の八王子の恩方に生まれた中村雨紅が、遥かに故郷を思って詠んだ詩です。

1 夕焼け小焼けで日が暮れて

山のお寺の鐘が鳴る

お手手つないでみな帰ろう

烏(からす)といっしょに帰りましょう

2 子供が帰ったあとからは

円(まる)い大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは

空にはきらきら金のー星

子どもの頃に1年間、この八王子に住んだことがありました。そこでは、夕日は山に落ちて行くのでした。ところが、大陸天津の夕日は、地平線に落ちて行きました。しかも真っ赤になってでした。それはそれは壮大
で幽玄で、何とも圧倒される光景でした。夕立の日には、空の端から端へと、雷が響き渡って、雷光も雷鳴も雷雨も半端ではありませんでした。箱庭のような自然の日本から移り住んで、驚きの連続でした。

天津も、今住む街も、家の近くにお寺はありませんが、月は時々見上げることができ、金星も輝いております。夕焼けに感動するよりは遊びに夢中で、日が落ちても遊び続け子どもの日が、懐かしく思い出されてきます。そういえば、こちらではカラスを見掛けません。ただ鳴き声の綺麗な小鳥は多 くいるのですが。

天来の恵み


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私たちが、住んでいる「◯◯花园huayuan(集合住宅をそういった表現を使う様です)」の裏門から出て、大通りに出られるのですが、その右の角に、大きな一軒建てのレストランがあります。その建物の左側に、「SPA」という看板が出ている、「温泉施設」があります。実は、この地域には「温泉」があるのです。もっと凄いのは、我が家の浴室に、水道の蛇口とシャワーの蛇口の他に、もう1つの蛇口を見つけたのです。温泉水の蛇口だそうです。通常は、使用できないようになっていますが、この住宅の管理会社によると、別会社があって、契約すると、温泉の供給が受けられる様です。

前の家の浴室に置いて、時々使っていた、木製の風呂桶を運んで来て、この家の浴室に置いてあります。上の娘は、契約を勧めているのですが、まだ決断していないのです。前々回、一時帰国した時に、友人の会社の宿舎を定宿にさせてもらったのです。そこには内風呂があるのですが、日本橋人形町に「銭湯」を見つけて、時間がある時に入りに行きました。江戸っ子の銭湯なのでしょうか、お湯が熱かったのです。それで、入浴客は、サッと入って出てしまう、江戸流儀の入浴法をしていました。

一番風呂に入ろうと、その銭湯の扉が空開く前に行って待っていました。ほとんどの人は息子に店を譲った様な、年配の方たちでした。大声で話さないし、体にかけるお湯も隣にかからない様に注意深くしている、そんな《江戸情緒》に触れて、流石(さすが)と感心させられたのです。

"1010"、この数字を、どう読まれますか。"せんとう(千十)」"だそうで、十月十日は、「銭湯の日」だった様です。また多摩丘陵に、温泉入浴施設があって、弟に連れて行ってもらって、何度か利用しました。『日本に帰ったら温泉に!』と思って帰国するのですが、引っ越した家で温泉に入れたら好いですね。ずっと働き続けて来て、この歳になって、それでも、こちらで仕事の機会があるのですが、何か「天来の恵み」の様に、この我が家の浴室の《温泉水コック》が感じられます。

体も心も温泉気分に浸りたい季節になって来ています。血行をよくして、体を温めて健康管理をするなら、決まって出てくる季節代わりの「腰痛」にも好いかも知れませんね。今朝、宿泊先の弟の家を出て、バス停に歩いて行く道筋の銀杏が、実を落としていました。もう晩秋です。明日は、その家に帰ります。
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熊本にて


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週末に、熊本にやって来ました。私が学校で教えた学生が、ここの大学で学び、今は長崎の大学の大学院で学んでいて、彼に私の熊本在住の友人を紹介したのです。40数年来の友人です。

今日一日、友人夫妻と交わりをして、夕刻、東京に帰る予定です。いまだに熊本を襲った地震の爪痕が残っていて、彼の住まいにも、それが見られました。

みなさんにとって好い一日でありますように!
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