天津にて

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ここ中国での、強烈な印象の1つは、天津の外国人アパートの8階に住んでいた時のことです。天塔と呼ばれていたテレビ塔の傍の「紫金山路zijinshanlu」をしばらく歩いたところにあったアパートです。最上階の南向きのベランダから、山一つない平地がずっと彼方まで見えるのです。如何に中国大陸が広大であるか、栃木から関東平野を南に見た比ではありませんでした。

窓の外には、「暖气nuanqi」という冬場の暖房用の給温水を温める、ボイラーの煙突が見えていました。石炭を燃やしますので、冬場は真っ黒な煙が立ち上っていました。そのベランダから、朝、東から日が昇ってきて、夕方は西に落ちて行くのが眺められるのです。その夕陽が落ちて行く光景に圧倒された私は、いつも夕方になると、それを眺めていました。

「星の王子さま」ではないのですが、夕日が落ちて行く様というのは、ちょっと寂しいのですが、あんなに重そうな太陽が沈んで行くというのは、実に神秘的なのです。そして翌朝になると、決まって逆の方角から昇ってくるのです。まだ「釣瓶落とし」のように日は落ちて行きませんが、『一日ご苦労様!』と言って上げたい気分に、いつもなります。

今日は、手が空いたので、洗濯物を取り入れたのですが、ベランダには金木犀の香りが秋風に乗って漂ってきて、いよいよの秋だと思わされております。よく歌った歌に、作詞が中村雨紅、作曲が草川信の「夕焼け小焼け」があります。東京都下の八王子の恩方に生まれた中村雨紅が、遥かに故郷を思って詠んだ詩です。

1 夕焼け小焼けで日が暮れて

山のお寺の鐘が鳴る

お手手つないでみな帰ろう

烏(からす)といっしょに帰りましょう

2 子供が帰ったあとからは

円(まる)い大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは

空にはきらきら金のー星

子どもの頃に1年間、この八王子に住んだことがありました。そこでは、夕日は山に落ちて行くのでした。ところが、大陸天津の夕日は、地平線に落ちて行きました。しかも真っ赤になってでした。それはそれは壮大
で幽玄で、何とも圧倒される光景でした。夕立の日には、空の端から端へと、雷が響き渡って、雷光も雷鳴も雷雨も半端ではありませんでした。箱庭のような自然の日本から移り住んで、驚きの連続でした。

天津も、今住む街も、家の近くにお寺はありませんが、月は時々見上げることができ、金星も輝いております。夕焼けに感動するよりは遊びに夢中で、日が落ちても遊び続け子どもの日が、懐かしく思い出されてきます。そういえば、こちらではカラスを見掛けません。ただ鳴き声の綺麗な小鳥は多 くいるのですが。

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