饅頭

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「饅頭」

 夕方になると、『マント、マント!』と、呼びかけながら、「饅頭(まんとう)」を、リヤカーを曳きながら売る声が聞こえてきます。小麦粉で作った拳ほどのものを蒸かしたもので、甘みを加えたものもありますが、実に素朴な食べ物です。朝など、これをかじりながら道行く人を、よく見かけるのです。『こんな、栄養のないもので大丈夫なのかな!?』と、つい思ってしまうのですが、朝食としては伝統的な食べ物なのかも知れません。きっと、起き抜けで家を出てきて、道すがら、この饅頭を一個買って、頬張るのでしょうか。

 実は、この饅頭が、家内も私も大好きなのです。二つに切って、トーストして、バターやピーナッツバターを塗ったり、チーズを挟んで食べたりするのです。これに、キューリとトマトと紅茶、これが、いつも変わらぬ朝食なのです。『同じものを食べ続けて、飽きないの?』と言われそうですが、飽きないで何年も何年も続けているのです。たまに、「フランスパン」を手に入れたときは、これに換えるのですが、「定番」はマントウです。

 冬場は、蒸篭(せいろ)から湯気を出して道端の店で売っていて、冬の風物詩なのです。私が育った街では、道端で物を売っていることは、全くなかったのですが、こちらは、一日中、道端に自転車やリヤカーをとめたり、道端にしゃがんで売っている人たちが多くいます。様々な食物、例えば菜っ葉やじゃがいもや漬物、日用品や薬などもあります。店がなかった時代に、こういった形で物が売られていて、その名残が今日まで続いているのでしょうか。

 テレビで、「輪島の朝市」を見たことがありますが、あんな光景です。あれほど整然と並んではいないのですが、道のあちこちに、自営の店が開かれています。ドラム缶を半分に切って、鉄板を載せた上に油を引き、卵や葱を入れた薄焼きなどが、売られています。これからの日は、「衛生問題」で、きっと禁止されるのではないかなと思っております。シンガポールの昔を知りませんが、きっと、以前は、ここと同じだったのだと思うのです。今では、「フード・コート」が街中のあちこちにできて、政府の管理のもとで、衛生的に商いがなされています。そんなシンガポールのようなことに、こちらも近いうちになるのかも知れません。今夕も、売り声が聞こえてくることでしょうか。

(写真は、「饅頭」の一種類です)

個性的

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「コスモス」高遠

 『この字は、あなたが書いた字だ!』と、アメリカ人の知人に言われたことがありました。漢字を学んだことがなく、書いたこともないのに、そう断じたのです。嬉しいのか、歯がゆいのか不思議な思いで、彼の言葉を聞いたことがありました。ということは、私の字には特徴があるということなのかも知れません。歌舞伎に使うような、落語家が演題や演者を紙に書くような「文字」に似ているのだそうです。故意に真似ようとして書き始めたのではないのですが、そんな風になってしまいました。

 中学一年の「国語」を教えてくれたのが、2年の担任で国語教師だったS先生でした。隣町で住職をしながら、教壇に立っておられました。歯切れのよい言葉の人で、眼光がキラっと光った、実に頭のよさそうな先生でした。「国語」ですから、字を書かなければなりません。私の提出物を見た、この先生が、『こんな字を書いていたら、絶対に出世しないぞ!』と言ったのです。坊さんだから占いをしたのでも、宗教家だから「預言」をしたというわけではないのですが、『字を改めないと、こんな字を書いていては、世の中では通用しないぞ!』と言ってくれたのでしょう。結局、その注意を聞かずに、今日を迎えております。

 習字も、からっきし駄目なのです。同じ中学の「書道」の先生も坊さんだったと思いますが、厳しい先生でした。一生懸命に書き、清書したものを床に落として、スリッパで踏んでしまったのです。破り捨てたらよかったのに、労作だったので、「スリッパ痕」のついものを提出してしまったのです。この先生は怒って、最低の点をつけたのです。それ以来、「習字」は苦手になり、筆が走らなくなってしまい、そのひねくれた思いが、字に現れていったのかも知れません。「仰げば尊し」の歌詞の中に、『身を立て、名を上げ、やよ励めよ』とありますが、そういったこともなく、出世とは程遠いところを生きてきました。

 人なみに、野心がなかったわけではありません。「成功」や「富」を夢見たり、「有名」にもなりたい気持ちもありました。でも読んだ本や出会った人の影響や感化からでしょうか、「母校」のためにも、「廣田家」のためにも、いわんや「日本」のためにも、役に立つ人とはならなかったのです。でも、もう一度やり直せても、きっと同じ道を歩むのだろうと思うのです。九割九分九厘の人が、そういった「凡人」だからです。故郷に記念館を建ててもらったり、故郷の駅に胸像を設置してもらっても、遺族や縁故のある人には意味があるのでしょうけど、100年も経ったら、『この人だれ?』ということになるのでしょうか。

 JRの恵比寿駅から、駒沢通りを歩いてきて、横道に入ったところの、ビルの玄関脇に、ご夫婦と思われる「胸像」が並んであります。『この方は、どなたですか?』と聞いてみようと思うのですが、聞いても詮なきことで、そうしませんが、多くの通行人が、そんな思いで見て通って行くのでしょうか。作って置かれた方には、思い入れが強烈なのでしょうけど、人の功績など、そんなものなのかも知れません。こちらの大きな川の畔にも、この「胸像」があります。この街の功労者であることは確かですが、なんとなく寂しそうでなりません。たとえ記念館や胸像はなくとも、ただ、悔いなく個性的に生きたい、そう願うこの頃であります。そういえば、先日、道端に「コスモス」が、もう一、二輪咲いていました。

(写真は、長野県高遠町に咲く「秋桜(コスモス)」です)