四‐四

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__アポロ14号月着陸船アンタレス1971年2月5日

 日本人が好きな「数字」を、NHKがアンケートで調べた所、「7」がトップでした。欧米の《ラッキーセヴン》から来ているようです。かつては、「末広がり」の「8」が好まれていたのですが、欧米文化の影響でしょうか。ここ中国では、「8」です。「發財(商売繁盛の意味)の「發(発)」の発音《fa》が、「8」に似ているからです。もう一つは、「9」で、「永久(永久に続くの意味)」の「久」の発音《jiu》が、「9」に似ているのです。しかし日本では反対なのです。「9」の発音《く》が、『苦しむ!』ことを連想するので、これを嫌うのです。中国のみなさんが嫌いな数字は、日本と同じで、「4」です。「死」の発音《si、スー》が、「4」に似ているからで、日本語の「四」の発音《し》が、「死」を連想されるので嫌ってきたようです。

 だったら、「4」を、《よん》と発音したら問題はなくなるのではないでしょうか。中国も日本も、こだわり方が似ていて「悲観的」、それに比べて、ヨーロッパ人は、「楽観的」なようです。それでも、キリスト教圏でも、「13」を嫌う人も稀にいるようです。キリストの受難が、「13日の金曜日」だからだと言われています。人間の一生が、「数字」や「日にち」や「方角」に支配されることなどありません。地球は丸いので、日本の「4日」は、アメリカ大陸では、まだ「3日」ですし、「9日」は「8日」なのです。

 1971年4月4日に、私は家内と「結婚式」を挙げました。「四」が2つ並んだ日だったのです。「縁起」を気にする人が嫌っている日を、ひねくれ者のようにして選んだのではありません。日曜日でもあり、桜の花も咲く頃でしたし、しかも春休み中でしたので、そうしたのです。今日は、その42回目の記念日なのです。昨晩、友人たちと話をしていたら、私たちの結婚の日が話題になり、『実は、明日私達の結婚記念日なのです!』と言ってしまったのです。そうしましたら、『明日の夕方、近くのホテルで結婚記念パーティーをしましょう!』と、その家の夫人が言ってくれ、今夕、家の近くにある大きなホテルでしてくださることになったのです。

 実は、今夕、二人で、「日本料理店」に行って、「にぎり寿司」を食べる約束をしていたのですが、急遽、変更することになりました。『42年も忍耐してくれてありがとう!』と、今朝、家内に言いましたら、『私の方こそ忍耐してくださって・・・』と返事がありました。もう、朝の9時の今から、「夕方」のことを思って、そわそわしている私であります。

(写真は、1971年2月5日、アポロ14号月着陸船アンタレスが撮影した「月面」です)

身だしなみ

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「御茶ノ水」歌川広重

 こちらで生活しながら、体の異変を感じることがあります。日本では、そのような兆候を感じることはなかったのですが、最近、頓(とみ)にそう感じるのです。大陸気候のせいでしょうか、それとも体の中に原因があるのでしょうか。それは、鼻の中の毛の伸びが早いことなのです。日本では降雨量も多く、緑が溢れているので、空気がしっとりとしています。ところが、私たちの住んでいる街は、乾燥しているのです。ある友人は、地熱が高いことが関係しているといっておられました。長い間、自然環境の整備が行われ、植樹による緑化運動に励んでおられます。それに植物が育つための陽の光も、年間を通じて多いのです。それで国内有数の「緑の多い街」となっているそうですが、それでも街の空気は乾燥しているのを感じています。

 四川省の成都に行った時には、『一年でこんなに晴れた日が続くのは、本当に珍しいです!』と、私たちの訪問時に、地元の方が言っておられました。一年中、どんよりしているのだそうです。また南京を訪ねた時も、町の中の空気が淀んでいて、視界も非常に悪かったのです。それに比べて、私たちが住んでいる街は、晴れの日が多く、青空を仰ぐことができます。ほどほどの雨も降ります。それでも、地熱が高い関係上、雨が降っても、すぐに乾いてしまい、すぐに自動車が砂ぼこりを上げてしまうのです。

 もうひとつ考えられるのは、「白頭掻けばさらに短し」で、自分の頭の髪の毛が薄くなったせいで、鼻の中に栄養が回っているのではないかとも思うのです。わが家に時々顔を見せていた方が、京都の大学に留学し、卒業と同時に、大手の日本企業に就職されました。今、上野のマンショに部屋を借りて、通勤されています。1月に帰国した時に、御茶ノ水で会いましたら、『いつもご馳走になっていますので、今日は僕がおごりますから!』と言って、お昼をご馳走になりました。帰国時に、都内でよく人と合うときに、コーヒーを飲んだり、食事をしているレストランででした。

 彼から、東京での生活、会社での仕事の話などを聞きつつ、ちょっと気になったことがありました。食事をすませて、明治大学の近くで行われていた「講演会」に一緒に出かけ、その後に、町の中を歩いていた時に、薬局に入ったのです。そこで、気になることを解決するために、1つの電気製品を買って、彼にプレゼントしたのです。それは、「電気カッター」でした。大企業に勤めるサラリーマンの「身だしなみ」の一つで、ぜひ彼に、これを使って欲しかったからです。『アッ、そうですね。ここで生活する上では、こんなことも気を使わないといけませんよね!』と言って、喜んで、それを受け取ってくれたのです。
 
 きっと、あれ以降、出勤前に、鏡に向かって、それを使っていてくれるだろうと思っております。私も、時々使うのですが、その頻度が高くなってきているのに気づくのです。これって、「男の身だしなみ」の一つですから。こちらでは妙齢の女性のを見てしまうと、「カッター」をプレゼントしたい衝動にかられてならないのです。自然だからいいのだと思っておられるのに、ちょっとお節介なことでした。

(浮世絵は、歌川広重の描いた「御茶ノ水」です)