夕日

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 2006年の夏からほぼ1年、天津のアパートで過ごしました。四方八方、山かげの見えない平原の真只中に、そのアパートがありました。7階の陽台(テラス)からは、朝日が昇り、夕陽が沈んでいく様子を眺めることができました。大陸の広大さに驚かされたのです。秋から冬にかけて、部屋の中を温める〈暖机nuanji〉に温水を配る施設の煙突からモクモクとした石炭を燃やす煙が立ち上って、とても印象的でした。日本では見られなし光景だったからです。天気のよい日には、大陸の太陽が真っ赤に空を焦がしながら沈んでいきました。日本の夕日とは、色が断然違うのです。八ヶ岳と南アルプスの山陰に沈んで行く夕日を35年余り見つめて過ごしましたが、それは淡いだいだい色や茜色でした。でも、天津のベランダから眺めたのは真紅と言ったらよいでしょうか。雄大な、まさに「大陸の夕日」なのです。いのちを宿した塊が、血潮の色を現わしながら沈んでいくのです。

 阿倍仲麻呂が、遣唐使の一員として、この地を踏んだのが、17歳だったと言われています。彼もまた、長安の都で沈み行く夕日を眺めたことでしょうか。父の寵愛を受けたジョゼフが、エジプトに行った年齢と同じです。長安もエジプトも、彼らにとっては、どのような町だったのでしょうか。仲麻呂は、外国人留学生として大学に学び、当時の国家公務員上級試験である「科挙」に合格して、玄宗の寵愛を受けています。彼は「朝衡」と言う中国名で呼ばれ、高位の役職に任じられたのです。この国が、外国人を積極的に登用することにこだわりがなかったのは、素晴らしいことだったと思えて仕方がありません。それは多民族国家なればこそ、一つの民族に拘らない人材の登用ができたからでしょうか。日本のように、単一民族(そうは言っても大陸から渡来した蒙古族や中華民族、南方からやってきたミクロネシアン、北方民族などの民族構成であったのですが)でしたら、なかなか難しいのかも知れません。仲麻呂は、50を過ぎてから、帰国が許され、懐かしい故国を目指して船出します。ところ防風雨に阻まれ、難船に遭い、その道が閉ざされてしまうのです。結局、長安の都に戻って、彼の地で、七十三年の生涯を終えております。

 一方、ジョゼフは、兄たちの憎悪の的とされ、奴隷としてエジプトに売られ、異国の地で、地を這うような生活を強いられます。しかし、天来の祝福をいただいて、逆境を跳ね返して、エジプトの地で生き抜くのです。それも誤解や誘惑の日々であって、決して平坦な道ではなかったわけです。ついにジョゼフは、パロの次の位、宰相の地位に登り詰めます。実力もあったのでしょうが、記録文書によりますと、「大いなるものが彼と共にいた」と記されてあります。当時、世界を襲った飢饉の只中で、父ジェームス一族は滅亡の危機に瀕します。ところが、未曾有の収穫の5年間に、ジョゼフはエジプトの食糧管理責任者として蓄えてあった食糧によって、世界を救うのです。そして、父の家族をも飢饉の中で救うのです。やがてやってくる飢饉の年年のために、ジョゼフを用いて、食糧を備蓄させたからでありました。その不可思議な境遇の中で、ジェームス一族は飢饉の中で救われるのです。

 故国で無難な生涯を過ごしていたら、どんな人生が仲麻呂やジョゼフにあったことでしょうか。人の一生は実に不思議なものではないでしょうか。自分の計画した通りに生きられる人は、きっと少ないのではないかと思います。私たちも、退職後、孫たちのおもりをして、日本で過ごす代わりに、一念発起して、中国大陸に渡りました。願いがありましたが、是が非ではなかった私の前に、一つ一つの扉が開いていったのです。そうこうしている間に、在華6年目を迎えるに至りました。この一ヶ月ほど、昔治療した歯が痛んで、帰国して治療しようと思いましたが、友人の友人が医科大学の歯科医をしていましたので、その方に診てもらうことにしたのです。治療を終えた晩、その歯が痛んで仕方がなく、鎮痛剤を飲んで二日ほど我慢していたのですが、耐えられなくなって、国慶節の休みの最中でしたが、診てくださった医師の友人が開業医をしていて、そこに飛んでいきました。診てもらいましたら、治療した歯の隣の歯が痛みはじめていたのです。彼女のご主人(医大の先生で開業医)が、その近くで近代的な設備の歯科医院をしていて、そこに連れていってもらって、診てもらいました。今まで日本の歯科医にかかってきましたが、こんなに丁寧に見診くださった医師はいませんでした。

 異国の地の治療台に座って、すべてをお任せできることに、国境の隔たりや過去の遺恨が取り去られているのを感じたのです。外国人への特別な配慮や厚意に、ただただ感謝で一杯でした。仲麻呂もジョセフも、外国人として、異国の地で、そんな私のような経験を、きっとしたのではないでしょうか。

(写真は、海岸線の綺麗な、「霞浦」の夕日です)