中学校の国語の授業で、「起承転結」を学んだのを思い出し、中国の漢詩が、そう言った構成で詠まれていると言うのです。それで、作文をする時にも、説教をする時にも、相手に理解してもらうためには、まず主題を決めてから、話の構成を練り上げていくわけです。
【起】 何を伝えたいか、先ず「主題」を決めます。その「目的」は秘しながら、最後の結論で言い表しますが、方向付けをします。
【承】 説明とか解説とか展開でしょうか。中心部分です。
【転】 話の筋道を、いったん逸らして、気分転換に、中心から離れて、結果に至るまでの横道に入ることでしょうか。〈変化〉や〈意外さ〉を与えることで、結論への興味を引き出すのです。
【結】 少し空手を修練したことがありましたが、最後に結手をしたのです。手を懐に納める仕草です。剣術家は、刀を鞘に収めます。それは武術の結論と言えるでしょうか。
やはり話の構成が上手なのは、噺家、落語家ですが、興味と関心を引き寄せる手腕は、さすがの話術です。驚くほどの稽古をしながら、話をするのだそうです。無駄に思える様なことが、生かされているのでしょう。ぶっつけ本番で話すなんてことはないのです。それらしく見える話の展開でも、周到な準備と稽古、愚直の努力があるのだそうです。
その落語家の中で、「名人」と言われた一人が、六代目の三遊亭円生でした。大阪で生まれたのですが、江戸弁で、『そうでげす!』と、高座で話しているのを聞きましたから、それが今でも耳に残っています。この円生は、6才の時に、20ほどの演目を覚えていて、高座に上るほどの天才だったそうです。噺を終える時に、「落ち」があります。落語では結論なのですが、聞き手を巧みに納得させて、噺を終えるのです。
通常、「真打(しんうち)」は、30~40年の間に努力を重ねて、100席ほどの演目を身につけるのが普通なのだそうです。ところが、この円生は、300席を、いつでも、どこでも自在に演じることができたそうで、それゆえ当代きっての名噺家だと評されました。『え~一席、ばかばかしいお話を・・・』と言って話し出す落語ですが、それだけ、たゆまぬ研鑽を積まれたことになります。だから多くの後進からの敬意得られた方だったのです。
聖書は、時代も、場所も、書き手もバラバラなのですが、統一されている「一巻の書」だと言われています。そう無理に信じているのではないのです。勝手に、書き手が書いていたのではなく、聖霊なる神さまの導きがあって記されていると言うのは、書き手は多くいても、思想的には一貫しているのです。著者は神さまだからです。
批評学者がいて、いろいろと意見を言ってきましたが、聖書を切り崩すことはできません。聖書の記事の中から、奇跡や非科学的なこと、人間の常識外のことを取り除く努力をする、聖書批評学と言う分野があるのです。はなっから聖書を信じられない人が、薄っぺらな本にしてしまおうと目論んだのです。
その反面、幼子のように、聖書を、創造の神を、聖霊に導きや助けを信じた人たちがいて、聖書は守られてきたのです。神を否定する唯物論の教育を受けてきた若者が、その教育の影響力がありながらも、クリスチャンとされて、祖父母やご両親の信仰を継承している方が、私が教えた学生さんたちの中にいました。五代目、六代目の信仰者だっておいででした。
私の母の故郷の出雲は、浄土宗と神話の地でした。そんな精神風土、宗教的風土の中で育ちながらも、14歳で、イエスさまを、「キリスト(救い主)」と信じたクリスチャンでした。伝道の難しい地で、「福音(良き知らせ)」を宣べ伝える、カナダ人宣教師の暖かな家庭への憧れもあって、その家族が愛し合っている様子に、神を見たのです。その信仰は、子や孫やひ孫に、脈々と継承されているのです。
人生にも、この「起床転結」がありそうです。さながら自分は、今や「結」のステージにいるのかも知れません。もう若かった頃の熱情も力もなくなっていますが、心の中では、自分を造られた神、その神に赦されたこと、その神の愛への感謝が湧き上がっています。
『屠られた子羊〔こそ〕は、力と富と知恵と勢いと、誉と栄光を受けるに相応しい〔お〕方です!』と、聖書のヨハネの黙示録にあるような救い主への賛美が、今も湧き上がるのです。私の人生の「結」は、「永遠のいのち」を得て、この肉体は滅んでも、「栄光の望み」に生き続けることなのです。神の贈り物としての「永生」であります。愛する救い主とお会いすることです。
w(ウイキペディアによる「ギリシャ語聖書」の写本、Christian clip artsnのイラストです)
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