ヒナキキョウソウ

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この花は、「ヒナキキョウソウ(雛桔梗草)」と言います。母の生まれた島根県出雲市の近くの「八雲町」に咲いていました(☞ HP「松江の花図鑑」から)。アメリカ原産の花で、1931年に、横浜で見つけられ、それが全国規模で拡散して行った様です。

大陸からやて来た人たちの荷物に紛れ込んでいたのか、その花や果実が好きだったので、種を持参して、日本の土の上に降ろして植えたのでしょうか。また、地中海原産の雪中花の様に、中国に運ばれ、川の流れで種が海に押し出され、波で漂いながら、日本の海岸線に運ばれて、海岸に根を下ろして、今では群生して咲く様なものもあるわけです。

アメリカだって、太平洋を挟んで、人や物の往来と共に、草花の種が運ばれるのは、当然のことなのでしょうか。何か浪漫があって、こう言った話が好きです。"ジャガタラさん"たちも、故郷の花の種を行李に忍ばせて、"サンダカン"に出掛けたのでしょうか。哀しさを今に伝える様な話です。

靴を履いて、飛行機で移動する今日でも、ズボンの裾や服の襟についた種が運ばれることもあるのでしょうか。鳥だって、体内の種が土に帰る事だってあるわけです。美しい花や瑞々しい果実だけではなく、言葉や文字が運ばれた事も忘れてはいけませんね。

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逞しい

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人って、懸命に自分を守りながら生きているのでしょう。そうすると、周りが見えなくなって、利己的になって行く傾向があります。人のことを考えられないのではなく、じょじょに自分のことばかりに思いが向いてしまうのでしょう。世間でしょうか、世界が狭くなって、<閉じ籠り>がちになります。

自己保身は、孤独を深めてしまいます。思いは深くなりますが、考えが否定的に、厭世的に、批判的になっていきます。明日が見えなくなり、過ぎ去った日の出来事と、出会った過去の人だけが思い出されてきてしまいます。そういう時は、好いことを思い出さないで、辛いことや嫌だったことを思い出してしまうのです。人の記憶は、そう言った思い出したくないものを思い出させます。

そんな自分に気づかされたら、広い世界に飛び出したら好いのです。閉じられた環境から、思いっきり自分を押し出してしまったら好いのです。なかなか自分にはできないので、だれかが引っ張り出すか、押し出したら好い。いつもと違った土地で寝起きをし、違った空気を吸い、違った水を飲み、違った食べ物を食べるのです。そして、違った人たちと話し、交わり、人の語る言葉に耳を傾けたら好い。

どうでも好いことを話すのではなく、話の中心軸を自分から相手に変えるのです。特に、好かった人との出会いとか、出来事とかを思ったら好い。その時の光景、天気、そして人自身を思い出すのです。特に幼い日の素敵な出来事が好いかも知れません。そういうのって、記憶の中の宝物だからです。それは磨かれてなくて、角やヒビさえあります。そのままにして、手を入れないことです。

そうすると今までしたことのない行動が生まれ、感動が湧き出し、生きている充実感が出てくるからです。未来に思いが向けられ、そこでの再会の喜びを願うのです。空想ではなく、過去に現実の人との出来事が、思いを変えるのです。もしかすると、お父さんやお母さん、一緒に育った兄弟姉妹、親戚の人たちからの仕打ちを、赦したら好い。

今でも奴隷制度があるのです。ある人は、そんな過去の奴隷にされているからです。そんな呪縛を捨てて、自由で、開放された人として、自分の高価さを発見したら好い。溌剌と明日に夢をつないで、一日一日を生きたら好い。花は咲き、鳥は歌い、人は歌うのです。

そんな違った土地での生活の経験、いつもと違う空気を吸い、水を飲み、人と出会った経験が、戻って行く世界に帰る時に、きっと見る目が変えられてしまうからです。新しい発見や、永遠につながる希望が生み出されて、生きてる喜びを感じさせてくれることでしょう。生きてるって、楽しいことです。人って逞(たくま)しいのです。

("里山を歩こう"から「フタリシズカ」です)

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クチナシ

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北側のベランダに、陽が当たる様になって、2、3日前から咲き始めた、「クチナシ」でしょうか、大家さんが置いて行かれた鉢植えですが、それほど強く匂ってはいませんが、匂いは同じです。その脇で、小さな赤い花も咲いています。北側のベランダにも、初夏がやってきているようです。

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パイネイラ

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昨年の9月から住み始めた「小区」に、何種類もの木が植えられているのですが、北側のベランダから見える一本の木があります。上の写真です(建物の壁にある上から3番目の窓の上方に、小さいですが白球状の物が確認できるでしょうか)。この写真と同じ様に、白いボールも様なものを吊り下げているのが、"google"で検索した下の写真です。ちょうど家内の妹が、滞在していて、「パイネイラ(<綿の樹>」と言うブラジルの特産の木)」だと言っています。花を咲き終えて、この綿状の物を付けるのでしょう。ブラジルでは、桜の様な季節の花だそうです。ここの小区で初めて春を迎え、初夏の様なこの頃、不思議な樹木だと思っていたのです。亜熱帯気候で、ブラジルに似ているのでしょうか。

実際に、この綿状の物は、「枕」の中に入れて使うのだそうで、好い香りがする様です。木の高い所にありますし、衆目の中、木に登って取るわけにもいかず、ただ眺めているだけです。木や花の名前に疎い私にとって、何が何だか分かりませんが、綺麗なことだけは確かです。ここに、こんな庭を設計して、作ったのは素晴らしい庭師がいるという事でしょう。

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誇りと強さ

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『西宮の誇り、我が関西学院アメフト部の強さの秘密』

2003年の夏合宿で当時の副将の大切な命が急性心不全で失われて以降、ゲーム前には静かな聖書朗読と相手の安全とクリーンな闘いを願うお祈りが、ロッカールームで欠かさず続いているとか。

さらに大切な試合の前には、この【堂々と勝ち、堂々と負けよ】という詩が朗読されるそうです。

「いかなる闘いにもたじろぐな。
偶然の利益は騎士的に潔く捨てよ。
威張らず、誇りを持って勝て。
言い訳せず、品位を持って負けよ。

堂々と勝ち、堂々と負けよ。
勝利より大切なのはこの態度なのだ。

汝を打ち破りし者に最初の感激を、汝が打ち破りし者に感動を与えよ。

堂々と勝ち、堂々と負けよ。
汝の精神を汝の体を常に清潔に保て。

そして汝自身の、汝のクラブの、汝の国の名誉を汚すことなかれ」

("facebook"からの転載です)

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食材

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この街に来て、天津の語学学校での学びを継続するために、ある大学の外語学院で学んでいた時、上級生が、歓迎だか親睦で、私たちを、食事に招いてくれました。住んでいた学生寮から20分ほど歩いた所にあった料理店でした。結構、料理の種類も多くご馳走でした。ある肉を食べていたら、『それ、《カエル》、美味しいでしょう!』と、一人の方が言ったのです。『鶏肉かな?』と思って、結構淡白で 美味しく、モグモグやった後でした。

彼らが騙したのではなく、《言わなかった》だけでした。それ以来、食べなれない料理が幾つかありました。親しくしてくださる、ご家族が、高級ホテルで、食事に招いてくれた席で注文してくれた、高価な《蛇料理》でした。その後、3度ほど、この料理が出た食事会があったのですが、最初の時だけ、無理して食べました。でも、舌に合いわずに、今に至るまで食べられずにしています。

3度目の時は、長女が訪ねている事を知って、同じホテルで食事をご馳走になった時です。長女は、招待してくださった夫妻への感謝を込めて、この《蛇料理》を顔色を変えずに食べていたのです。シンガポールで長く過ごしたので、抵抗がなかったのか、招いてくださった方の気持ちを察して、ビジネスマンとして礼を守ったのかも知れません。

もう一つは、《ナマコ(海鼠)》です。これも中華の海鮮料理では、クルマ海老や鮑のように、高級食材なのです。二度ほど、結婚式の宴席で出されたのですが、隣席の方に譲ってしまいました。目を丸くして、彼女は『谢谢!』と言って、二匹も食べられて満足そうでした。

さらにもう一品は、「臭豆腐chodofu」です。一度食べました。しかし、二度は食べていません。食べられますが、買ってまで食べようとは思いませんし、ご馳走になったこともないのです。結構、中華料理には、敬遠しているものがあって、未だに苦手な物があって、申し訳ないと思っております。

最近、日本で食の問題が取り上げられているそうです。"ガスト"で、《カエル》の死骸が、注文した料理の中から出たとニュースが伝えていました。混入したのでしょうか。でも、結構、肉の代用品として、暗黙の内に使われているのかも知れませんね。"食用◯◯"が、隠れて調理されているニュースを、時々聞くからです。《地鶏》と偽って、普通の鶏肉を使ってることも露見したようです。「正直」であって欲しいですね。

(一度思いっきり食べたい"ロースト・ターキー"です)

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渓流

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"リバー・ラン・スルー・イッツ"というアメリカ映画を観て、その舞台であった"モンタナ"に行って見たくなりました。綺麗な渓流で、親子で釣りをする光景が、子育て中の私には強烈でした。

シカゴの大学教授だった方が、自分の両親や弟、育った故郷を回顧した小説を映画化したものでした。私も渓流の脇で生まれ、沢違いの渓流の流れを見ながら育ちましたから、「原風景」に近いものを感じたからでしょうか、印象が強かった様です。私が幼い日に眺め、足を浸した渓流は、箱庭の様でしたが、映画の"ミズーラ"の渓流は、比べられないほど川幅が広く、流れる水量も水深も段違いでした。

私の住まいの流れには、天然のヤマメの魚影を見つける事ができました。兄たちに真似て捕まえようとしても、俊敏なヤマメは、私の手には負えませんでした。渓谷の木や草や土の匂いも、映画を観ながら、蘇ってくる様でした。父が、トラックで家に帰って来ようとして、脱輪して、河原に放り投げられたのですが、川床の岩の間に、父が落ち、その上にトラックが落ちて、一命をとりとめた事があったと、母から聞いた事があります。

三原市の山奥の渓流の写真に見て、そんな事を思い出しました。この花は、「マメヅタラン」だそうです(今朝配信の「里山を歩こう」から)。これは、故郷の風景に重なります。そうなんです、"ミズーラ"には行けませんでしたが、"ボーズマン"と言う"モンタナ"の州都や、その周辺を訪ねる夢は叶えられました。

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世の中に、《嫌われ役》を買って出る方がおいでです。<嫌味>でも<皮肉>でも<当てこすり>でもなく、相手の行動を正そうという動機で、生活態度や生き方や生活の仕方などを注意してくれる方の事です。私は、そう言った、嫌われてしまいそうな役割を、敢然と果たした方と、出会った事があります。

それは、年配者の方々が、若い人たちを招いて、食や宿泊を共にして、数日過ごした時の事でした。交わりも学びも好かったですし、食事も美味しく食べたのです。"アメリカン・ディッシュ"で、普段食べた事がない食事でした。決して贅を尽くしたものではないのですが、ありふれた食材で、アメリカ人のご夫人たちが、手と愛情の混んだ調理をしてくれたのです。

食後の<皿洗い>は、みんなが順番で当番を決めたのです。ある方が、皿を洗っていたのですが、話に夢中で、よそ見をしながら、手を休めていて、水道水を流しっぱなしでいたのです。よく見かける光景です。井戸から汲み上げれば、際限なく汲み上げられる、水の豊富な日本での生活は、水の《有り難さ》を感じる事がありません。ところが欧米でも、ここ中国でも、水は《貴重な資源》なのです。

その時、カールソンさん(仮名)が、『君、水が流れっぱなしで勿体無い。水道のコックを閉めなさい!』という代わりに、そっと後ろから手を伸ばして、無言の内に、コックを閉めたのです。皿洗いをしていた方は、気付きませんでしたが、私は、まじまじと、その出来事を見たのです。使う時に、ちょうど好い量を流し、こまめにコックを閉めながら、皿を洗う術を心得たのです。人の感情を傷付けない配慮を、この年輩のカールソンさんの内に見て、多いに学んだのです。

これは無駄や浪費を省くだけではなく、《生き方》なのです。日本人が、アメリカに留学していた時、日本で生活していた時と同じ様に、生活しようとします。ところが、留学で、ホームステイした家庭は、タンクの温水を、家族全員で使うために、後の人の事を考えながら、温水を最小限に使うのです。

食事も同じで、サラダボールの野菜、プレートの上の肉、卵、ポテト、これらを食卓を囲む全員で食べるのです。一人がどれだけ皿に取って食べるかを考えながら、手を伸ばさなければなりません。暗黙の内のルールがあるわけです。『どう食卓で振る舞うか?』を学んでいるべきです。それが、日本人には、なかなかできないのです。好きな物を、皿いっぱいにとってしまう人が時々おいでです。

また会話も同じです。一台の車に、<2種類の人>が乗っています。英語だけ喋れる一人、日本語と英語のできる四人が乗っているのです。三人の日本人は、多数者を好い事に、日本語を理解できない人がいることに配慮せずに、とうとうと日本語だけを喋り続けるのです。話題に入れない一人の存在が無視されているのです。

ところが、もう一人の方は、日本語のできない、運転をしてくれているご婦人のために通訳をして上げていました。そして共通の言語で会話をする勧めを、全員にしたのです。言葉を理解できない人の事を考える事をしない、こんなケースが、日本人の私たちには多いのです。鉄則は、《五人の共通語》で話すべきなのです。こういった感覚を身につけていない日本人は、なかなか国際人になれないのです。

「話題」も同じです。自分ばかりが話して、人の語る話を聞かないのです。この席の主賓が誰かをわきまえられないで、自己中心的に、話と話題を独占してしまう人が、時としています。どんな話題が好いのかを、考えながら、みんなが話し、そして聞く時、その席は盛り上がります。日本人には、これが苦手です。また、"沈黙は金"でしょうか、会話に入れない人がいます。話の間に入り込める様に、訓練したら、交わりがが楽しくなることでしょう。

("tetotetote-sendai.jp"から)

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春一杯

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次女の家の庭に咲く、「キンレンカ(金蓮花)」です。鮮やかなオレンジ色ですね。日本でもオレゴンでも、ここ中国でも、まさに百花繚乱の季節です。北側のベランダの外には、木に紫や白い花々が咲いて、春の嵐の様に咲く出し、溢れかえっています。木の葉は、浅葱色から、徐々に緑を濃くしてきています。

昨晩、いただいてきたスイカが、甘くて美味しいのです。小ぶりのマンゴー、林檎、火龙果(huolongguo)、米焦(mijiao/中国産のバナナ)、ブルーベリーなど、いただいたり、買い求めた果物が、冷蔵庫に中に、たくさんあります。 鮑までいただきました。みなさんに、よくしていただいています。

春の野辺に出掛けて、ハイキングコースでも歩いてみたい気分です。春、いえ、もう初夏の様相を見せております。今日は、湿度はあまりなかったのですが、気温は相当高かったに違いありません。週末は高温との予報が出ています。みなさんのご健康を願っております。

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水餃子

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昨日の昼前に、先週来、家内の妹が来訪しているので、家内のお気に入りの「水餃子」の店に行こうと、三人で出掛けることにしていました。この街に、こちらの方と結婚されて、高校生のお子さんを育てておられる、日本の中国地方の出身のご婦人がいて、時々、家内と交流があります。

最近は、私も誘われて、一緒に食事をしたり、喫茶店に行ったりしているのです。この方に、家内が声をかけたら、ご一緒できるとの事でした。すぐにこの方から、折り返しの電話があって、もう一人のご婦人もお誘いしたいとの事で、都合5人で街中の「てんてん」という店の前で落ち合うことにしたのです。

そこで、<餃子>を三種類、<涼皮>という山西の特産料理を二種類、砕いた胡瓜とニンニクを刻んだ和え物、トマトと卵のスープで、食事を摂ったのです。娘たちと同世代の、子育て中のお二人で、このお二人にしてみたら、ご両親の世代の義妹と私たちとの食事会でした。私たちに合わせて下さって、楽しい時を過ごしたのです。間もなく、息子さんたちの進学を決めなくてはならない時期で、家内は、昨年、札幌に行った時に訪ねた<北海道大学>のパンフレットなどを、参考のためにと差し上げていました。

こちらの大学か、帰国子女枠で日本の大学かを、決めなければならないそうです。我が家の四人の子たちは、親に負担をかけない様にと、一番安く学べる学校を選んでくれました。郡立の"コミニティーカレッジ"で、二年学んで、その後に、州立の四年制大学に編入したりしていました。長女は、東京で昼間働いて、夜間の短大で学び、そこを卒業すると、上の兄が学んだ同じ州立大に編入したのです。四人とも、結構逞しかったと思います。

この方の高校生のお子さんは、昨年怪我をして手術をし、リハビリ中の私に、自分のための"成長滋養剤"の「肝油ドロップ」の大缶をくださって、『早く治ってください!』と激励してくれたのです。それは、とても嬉しいことでした。彼が、能力に見合った大学に進学して、人生の基礎を、確りと固めて、卒業後は、社会の中で、その責務を果たしていかれるように、私と家内が願っている若者なのです。

暑い日でしたが、まだ日陰に入ると涼しい時期で、最寄りのバス停で、家の近くを通る路線バスを待ちながら、道行く、小学生や付き添いのお爺さんやお婆さんの様子を眺めていました。午後のために、集団で登校する一段も幾組もありました。ご一緒したお母さんたちとご主人、息子さん、近くに住む義父母の健康を願っていました。娘たちも同じ様に、国際結婚をしていて、まあいろいろな事があることでしょうね。幸せを願って。

(「涼皮」料理の一つです)

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