昨年の夏から住んでいるアパートの中庭に、実にきれいな「椿」の花が咲いています。戻ってきた私を歓迎するかのように、咲いていましたが、もう花の盛りは終わるのでしょうか。日本で見たのは、ただ真っ赤な椿ですが、ここに咲いているのは、日本よりも赤色の濃いものや、紅白絞りの斑色のもので、『アッ!』と息を飲むようなの美しさです。
私の父が、とても好きだった歌に、「アンコ椿は恋の花」というのがありました。作詞・星野哲郎、作曲・市川昭介、歌・都はるみで、1964年、東京オリンピックの開会された年に流行ったものです。
三日おくれの 便りをのせて
船が行く行く ハブ港
いくら好きでも あなたは遠い
波の彼方へ 行ったきり
アンコ便りは アンコ便りは
ああ 片便り
三原山から 吹き出す煙
北へなびけば 思い出す
惚れちゃならない 都の人に
よせる思いが 灯ともえて
アンコ椿は アンコ椿は
ああ すすり泣き
風にひらひら かすりの裾が
舞えばはずかし 十六の
長い黒髪 プッツリ切って
かえるカモメに たくしたや
アンコつぼみは アンコつぼみは
ああ 恋の花
多くの人が、よく歌った歌を、「流行歌」とか「歌謡曲」と言いましたが、いつごろからか、これを「演歌」と呼ぶようになりました。中国や朝鮮半島にも、似たようなメロディーの歌がありますが、日本から輸出されたのか、もともと大陸で歌われた歌だったのでしょうか。こちらの学校で日本語を勉強していたときに、一人の先生が、台湾の歌で、「爱拼才会赢」を教えてくれたことがありました。恋愛の歌なのですが、まるで「演歌」と同じメロディーで、福建省の南部の方言の「闽南话」で歌われているのです。この言葉は「台湾語」と同じです。
文化的なつながりは、日本と台湾と「闽南」は、ひとつの線で結び合わせられるのかも知れませんね。父が、16歳の都はるみが歌う歌謡曲を、目尻を下げながら聴いていたのを思い出します。なにか郷愁を誘われたのではないでしょうか。それは、ちょっと意外なことだったのです。父は、私たち子供の前で、歌謡曲を歌うのを聞いた覚えがないのです。ただ、童謡でしょうか、父が子どもの頃に歌った、「めんこい仔馬」や、祖父に連れられて出入りした場所で、みんなで歌った歌を、思い出して口づさんでいるのは聞き覚えがあります。
そういえば、都はるみに似た女性が、こちらにはおいでになります。仕草までそっくりなのは、ルーツを共有しているからかも知れません。「歌は世につて、世は歌につれ」と言うそうで、田植歌や漁師歌、収穫や大漁を喜ぶ歌など、歌い継がれている歌は、世界中にあるようですね。労働の厳しさと、働く喜びを歌うのは、人の常なのでしょう。今だって、窓の外から聞こえてきているのは、「北国の春」です。そういえば、今日も20℃の気温が予報されていましたから、こう言った選曲になるのでしょうか。歌い、そして聴く歌を、中国と日本で共有する私たちは、やはり、どこかで、しっかりと繋がっているに違いありません。