「故郷」の作詞家・高野辰之は、唱歌の作詞だけではなく、全国百数十校の校歌も作詞しています。彼は、こう書き残しています。『校歌には、その学校の建学の理想が盛られ、校訓が含まれなければならない。生徒は校歌を歌うことを通して生徒としての自覚を深め、誇りを持ち、励まされ、時には戒められ正しく導かれる。校歌はそういう役割を担うものである。その為に校歌は、七五調で親しみやすく口ずさみやすいこと、動揺のない自然の山河などの地方色を含み、比喩は山河に結びつけること。日本の国民性、健全性を大切にし、偽らない中正の考えが含まれること。いつまでも歌い継がれる永遠性を持つこと。』とです。
そこで、三度めの転校先の小学校の「校歌」を思い出したのです。作詞・岩淵孝(青山師範学校〈現・東京学芸大学〉教官)、作曲・森山保(青山師範学校教授)で、明治45年に制定されています。
1.南に仰ぐ 富士の高嶺
北にめぐれる 多摩の流れ
教えの庭の 朝な夕な
鏡とみまし 山と川と
2.名もうるわしき 日野のまちは
人すなおにて 地味こえたり
われらの学びの 業を励み
楽しきこの地の 栄えまさん
高野が言うように、地勢や健全性が盛り込まれているのです。半世紀あまり経つのに、はっきり覚えているというのは、我ながら「母校愛」に溢れているのだと自認しております。また、高野辰之の学問については、『辰之の学問の底流には「人間の喜びや悲しみの叫びが歌謡の起源、身振りは舞踊、物真似は演劇の起源」という考えがある。 『日本歌謡史』『江戸文学史』 『日本演劇史』は代表的著作で、その研究は別々のものではなく、辰之の学問の世界を構築している。辰之の研究は実証的で、資料の収集と検討分析に力を注ぎ、日本の歌謡・演劇・民俗芸能の学術的研究に前人未踏の世界を開いた。またそれは、様々な時代に生きた人間の心に深く触れる日本文化の再発見であった。 』と、「おぼろ月夜の館・斑山文庫(高野辰之記念ルーム)」のHPにあります。
日本文学や文化を学びながらも、じつに易しいことばを用いて、作詞をしていることに驚かされるのは私ばかりではないとと思います。高野は、
白地に赤く日の丸染めて
ああ美しい日本の旗は
という「日の丸」も作詞をしています。日本が、地理的に、「日の出ずる国」であるところから、このように、「白色」と「赤色(厳密には〈紅色〉というそうです)」の「日章旗」は、理屈抜きで単純で素朴です。去年の夏に乗船した「蘇州号」が、日本近海に進んだ時、「日の丸」が掲揚されました。海風を受けてはためくのを見ていましたら、胸がジンとしてきたのは歳のせいでしょうか、外国に長く住んでいるからでしょうか。私たちの国の「国旗」は、高野が詠むように、実に美しいと思うのです。