「二十年」

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テニス

 「二十年」というのは、『オギャア!』と生まれた子供が、「成人」する年月になります(ここ中国では成人の年齢は18才だそうです)。それは、「一世代」として考えることもできるでしょうか。幼稚園に入って集団生活をし始めた日、サクラの咲き誇る中、ランドセルを背負って新一年生になった日、選挙権をもらって公民となった日、結婚した日、子の親となった日など、人生に記念すべき日が多くあります。本人にとっても親にとっても、「二十歳(はたち)」は、少なくとも日本では特別な日ではないでしょうか。

 昨日、日本のサッカーチームがオーストラリアと引き分けで、「ワールドカップ」の出場権を得ました。ネットのニュースもにぎやかに、それを報道していました。野球に比べて人気は今ひとつだった、私たちの時代とは比べられないほど、サッカー人気は高くなってきているのを感じます。このちょうど20年前の1993年の秋に、翌年のアメリカで行われる「ワールドカップ」の予選の試合が、中東のカタールの首都・ドーハで行われました。日本チームの対戦相手は、イランでした。この戦いに勝つと、念願の「ワールドカップ」の初出場がかかっていたのです。2対1で勝っていたのですが、終了間際にイランに同点ゴールを決められて、引き分けになり、勝ち点によって出場権を失ったのです。これを「ドーハの悲劇」と呼びました。

 日本のスポーツ選手は、特徴的に、《カラッ》としていないのです。大きな大会の重圧に負けて、下痢になったり、体調を崩したりして、普段の力を出せない《脆弱さ》が、一般的にあるのです。この「ドーハの悲劇」のとき、「ワールドカップ」への出場の夢が潰(つい)え去った時に、ドーハのピッチの上で放心でしょうか、虚脱でしょうか、いつまでもクヨクヨとしていた写真が送信されてきました。その様子を思い出すのです。負けたら、すっくと立ち上がって、次の大会に目を向けて進んでいけばいいのです。イラクの勝利を祝福したらいいのです。それができない女々しさの方が、私にとっては残念で仕方がなかったのです。勝利は、様々な要素が入り組んでの結果なのです。そこに向かう道のりが、スポーツが持っている醍醐味なのではないでしょうか。

 今は、古代ギリシャのスポーツとは違います。そこでは負けたら処刑されることだってあったわけですが、近代スポーツは、《参加すること》や《やること》に意義があるのです。少なくとは私たちの国では、処罰されません。『ご苦労さま。次、頑張って!』の声のほうが大きいのです。その反面で、負けた原因、コーチ陣の采配の誤り、責任問題が起こるのです。『楽しかった思い出ですませばいいのに!』と、思うのですが。

 奇(く)しくも、今年は、その「ドーハの悲劇」から20年が経っているのです。4ヶ月ほど足りませんが。昨日の試合のメンバーの多くは、国外のプロチームで活躍している選手だったようです(ドーハの試合出場選手には国外チームの所属選手はだれもいませんでした)。この20年で、スポーツ選手の意識も変わってきたのでしょうか。それとも20年前と同じなのでしょうか。サッカー界だけではなく、スポーツ界全体、いえ日本人が、『変わってきているのかな?』、と思うのですが、どうなのでしょうか。

 これまでのスポーツで、勝負にこだわらない、40代になってから始めた「テニス」が一番楽しかったのです。兄の友人たちの仲間に入れてもらい、春や秋に八ヶ岳や東京郊外で、「打ち合わせ」をしました。テニスのかたわら、温泉に入ったり、美味しい物を食べたり、いろいろと話に花を咲かせ、至福の時でした。いびきがうるさくて部屋を逃げ出したこともありました。いっしょにした方の中には、もう召された方もおられますし、寄る年波で、今は「思い出話」なのです。でも、あの楽しさは格別でした。

(写真は、テニスのラケットとボールです)

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