『一を聞いて十を知る』

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「給食当番」

 2012年12月に、北京市のある中学校の校長先生が、『この学校が、なぜ修学旅行先に日本を選ぶのか?』という題でブログに掲載していました。

 『日本への修学旅行は北京四中の大型課外学習考察活動の1つだ。この活動は毎回生徒たちに深い感動をもたらしている。なぜ日本へ修学旅行に行くのか?それは日本が中国と特別な関係にある国だからだ。中国の今の進歩と苦難はすべてこの国と関係がある。漢字を知らない日本人はいないし、対中貿易の恩恵に浴さない日本人もいない。日本のブランドの商品を知らない中国人はいないし、日本の技術や製品は中国各地の各家庭に行き渡っている。しかし、われわれは日本を十分に理解してはいない。率直に言って、学ぶ価値のあるものが日本にはたくさんある。技術だけではないのだ。

 2012年の訪日修学旅行のテーマ は「一を聞いて十を知る(見微知著)」。細かい考察を通して日本の社会や文化を知り、そのなかで学ぶべきものを見つけようという意味だ。これまで日本を訪 れた生徒たちは、日本の国民意識や職業意識の高さに深い感銘を受けている。笑顔であいさつする日本のサービス業に従事している人たちや、災害の後で深く反省し検討する日本人を見て、生徒たちは「日本が狭い国土の上に数々の奇跡を創造できた理由」が分かったという。

 日本人は小さな1つ1つの事柄に最善を尽くす。そしてそれを積み重ねて自己の民族精神を形成し、総合的な国力を向上させているのだ。こうした精神は学校教育と密接な関係がある。日 本の学生の礼儀正しさとサービス精神はわれわれも学ぶ価値がある。かつて礼儀の国の民族と称されていたわれわれが、今では日本民族に礼儀を学ばなければな らない。震災直後でも社会秩序が保たれた日本に、全世界は驚きと称賛の声をあげた。

 私は日本の小学生が給食を配っている写真を見たことが ある。われわれの大都市の子供たちはめったに働かない。それどころかわれわれは、学校でも家庭でも誰かが子供たちの面倒をよくみてくれることを願っている。日本人が生活上のあらゆる便利グッズを発明できるのも、子供の頃からきちんと労働を実践しているからだろう。

 労働は創造意欲を刺激し、労働なければ創造もない。これは簡単な理屈だ。日本は科学技術の発達した国だ。同時に民族の伝統もちゃんと残っている。これこそわれわれが学ぶべきことだ。
「恥を知って勇気を知る」ということわざにもあるように、自分たちに足りないところを認める民族こそ、最終的に強くなれる民族なのだ。われわれは過去輝いていたが、今では後進国だ。遅れていること、足りないことを素直に認めて、進んだ国家に学ぶことが必要なのだ。』

 かつて、日本が、大陸の中国に留学生を送って学び、また中国から渡来した人々から教えられたことは数え切れません。先ず「文字」です。これによって、中国の書物を読み学ぶことができました。さらに、後の時代に記録を残すことができました。次に、「政治制度」です。そのもっと重要なものは「律令制」でした。国として成り立つための知恵を学んだわけです。794年に首都とされた京都は、「平安京」と呼ばれて、隋や唐の時代の長安の都を模倣して作られています。京都の街は、「洛南」、「洛北」、「洛西」、「洛東」と、今でも呼ばれていて、「洛陽」の都に由来して呼ばれています。日本人が京都を訪ねると、まるで長安の街にいるかのような気分にひたれるのだそうです。

 さらに「思想」を学んできました。1500年もの間、日本人は、孔子の「論語」や「大学」、孫氏の「兵法」、李白や杜甫の「詩」などを学んで、素養を積んできました。21世紀の今でも、日本の高校では、「漢文」を学んでいます。孟浩然の「春暁」、柳宗元の「江雪」、杜甫の「春望」などを読み、唐代の詩人から、「文学の心」を学んでいます。ですから、日本の高校教育には、中華思想や文学からの影響は大きいと言えます。

(イラストは、小学校の「給食]の配膳の様子です)

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