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『私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。(1サムエル20章23節)』
軽率っていうか、不用意か、不適切、はたまた独りよがりでねじれたというか、「ことばの乱雑さ」の時代なのでしょうか、人の語る「ことば」で、心が傷つき、折れ、打ち倒されてしまう人が多そうです。パウロは、
『あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(コロサイ4章6節)』
また、イエスさまの兄弟で、エルサレムの教会の牧師だったヤコブは、次のように勧めています。
『私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。 (ヤコブ3章2節)』
ことばや感情を抑制することが,どんなに大切かを語ったのです。発言の機会が、こんなに多くなったのは、ネットのせいでしょうか。マイナス面は、悪意あることばが、人を傷つけていることです。本人は,溜飲が下がるし,気晴らしになるし、不満の爆発になるのですが、個人攻撃や非難が、人を打ちのめして、立ち上がれなくさせています。立ち直れないで、自死してしまうこともあります。
そうなると、〈ことばの暴力〉、〈ことばの殺人〉になってしまっているのです。わたしたちの住んでいる栃木市でも、「ゴミ出し」の日が決まっていて、出し方も,市販の透明袋に、町名と氏名を記名しなければなりません。
ここに住んでから、これまで三回度ほど、ゴミ出しのミスをしましたら、階下のご婦人が、わざわざ玄関までやって来られて,『ダメじゃないですか、曜日を間違えたりして、気をつけてください!』と言って来るのかと思っていると、『瓦礫は今日じゃあなかったと思うんですが,わたしが間違ってるかも知れないので、もう一度調べてみてくれますか!』と,叱ったり注意したりする代わりに,知恵ある言い回し話してくださるのです。
年の功でしょうか、世間付き合いに長けているのでしょうか、実に上手な言い回しをしてくれるのです。ちょっとしたことばで、人って容易に傷つけ、傷ついてしまうのですが、塩味が効いていますと、それを納得してしまいます。それを知っておられて、巧みにことばをお使いになられるのです。いつまでもゴミ置き場に、間違い袋が置かれていて、恥にならないような配慮もしてくれるのです.この方は、ラジオ体操仲間なのです。
パウロの言う、「塩味のきいた〈ことば〉」と新解訳聖書にある箇所は、英欽定訳ですと、“seasoned with salt(塩で味つけられたことば)“ で、黒崎幸吉訳ですと、この6節全体を次のように解説しています。『前節の「外の人」に対する態度の継続である。「外の人」に対する言葉は常に「気持ちよい言を用うること」が必要である。辞解参照。ただし唯気持ちがよいだけではいけない。塩にて味付け、心を引きしめる力があり、効き目のある言をもってしなければならぬ。人の心に響かないような当らず障らずの言は用いるべきではない。これが各人に対する適当の答である。不愉快な言を用い、または味のない言を用いることは、外の人に対して答うる所以を知らない者である。」とです。
ちなみに,漢訳聖書では,『你们的言语要常常带着和气,好像用盐调和,就可知道该怎样回答各人。』とありました。毎日も沢山のことばを話すのですが、果たして、「塩味」が聞いていたかどうか、吟味してみる必要がありそうです。『ことばで失敗しないこと!』を掲げた一日であるようにと願う朝です。
(「キリスト教クリップアート」の語るパウロのイラストです)
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