FIREMAN’S PRAYER
When I am called duty . God, whenever flames may rage:
Give me strength to save some life whatever be its age.
Help me embrace a little child before it is too late or save an older person from the horror of that fate.
Enable me to be alert and the weakest shout, and quickly and effectively to put the fire out.
I want to fill my calling and to give the best in me, to guard my every neighbor and protect his property.
And if, according to your will, I have to lose my life :
Please bless with your protecting hand my children and my wife. Amen
緊急の命を受けたとき
神よどこで炎が吠えようとも
尊い命を救う強靱な力を与え給え
小さな子どもから老人まで
炎の恐怖から救い出すパワーを与え給え
か弱い叫びも聞き逃さず
素早く火を消し去る力を与え給え
私は天職に従い生命の全てを賭け
人々と財産を守りたい
そしてもし神よあなたの意志に従い
命召されるときは
わが子と愛する妻に
あなたの慈悲を与え給え
「祈り」無くして果たせられない「仕事」が、この社会の中にあります。とくに、猛火と闘う「消防士」は、その最たるものではないでしょうか。この英文の「祈り」は、「消防士の祈り」と呼ばれ、”911“ のテロの時に出動した、ニューヨーク市消防署をはじめ、アメリカ合衆国のどこの消防署の壁にも、掲げられてある、神への「祈り」なのです。
小学校の同級生で、仲の良かった友だちのお父さんが、「消防署長」でした。そのお父さんの勤めていた消防署で、小学生に柔道を教えていて、弟が習っていました。勇気がなかったのか消防士になる願いを持つことは、わたしにはありませんでしたが、勇猛果敢に、火と格闘して、市民の命を守る仕事には、尊敬の念を覚えていました。
江戸には、「火消し」がいて、八百八町が火事で延焼するのを食い止める、民間の消防士でした。江戸期の初期には、三百余の町があったのですが、後期になると「千町」にもなっていたそうで、男気の男いなせな仕事だったそうです。
住んでいたマンションの上階で、ガス爆発があって、危うく火の引火で吹き飛ぶところを、難を逃れて親子五人、家内のお腹の中に次男がいましたから、六人が命からがら、火を通りながら助かった経験がありました。火元への消防署と消防団との放水で、我が家も水浸しでした。
阪神淡路大震災、東北大震災でも、地震発生後に、一番活躍されたのは、消防士、警察官、自衛隊員のみなさんでした。普段、安心して、市民が床に着くことが出来るのは、消防士のみなさんのいらっしゃることによります。
これまで一番驚いたのは、ニューヨークの貿易センタービルが、アルカイダのテロ攻撃によって、火炎が上り、二つの高層ビルが倒壊していく様子を、テレビ中継で見たことでしょうか。その消火活動や救難活動で、400名以上の消防関係者が殉職されています。
このニューヨーク市消防署を始めとする、アメリカの消防士たちは、この「祈り」をもって、市民の命や財産を守る務めに、命を捧げつつ、祈るのだそうです。わたしも、消防や救命活動に従事されるみなさんが、ご無事に職務を果たされるように、お祈りによってお支えしたいと願っております。
(江戸の「町火消し」、「消火活動」です)
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