情報収集の能力が

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 『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ146節)』

 私たちは、学校に入学して以来、毎年、身長と体重と胸囲などを測り、成長の様子や健康状態を調べていました。健康診断が目的だったのです。平均値に対して一人一人がどうなのか、10年前や20年前の数値と比較して、今の子どもたちの教育や栄養などの過不足や多少を、国や市町村が、学校に委託して調べて来ました。

 小学校でされたと思いますが、「 知能検査(アイキュウ/IQ)」を調べられたことを覚えています。人間の持っている知的な能力を調べるのですが、そんな数値で、人間が測られるて、価値づけがなされるのでしょうか。聖書に、次の様なみことばがありまります。

 『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。(イザヤ434節)』

 人を見ておられる神、一人ひとりの創造者がおられて、「高価」で「尊い」と言われるのです。父や母にとって、そう思ってくれて大事に育ててくれたのですが、こんな為体(ていたらく)なわたしを、命の付与者が、そう評価してくれているのです。

 先日、ある新聞に、リテラシー(literacy) “ と言うことばが載っていました。高いとか低いとか言って,「能力」を言うのだそうです。本来は,「ことばの理解力」を言うそうですが,この頃大流行りの「情報」に関しても用いることが多いのだそうです。

 今、情報量が,とても多い時代になっていて,誰もが情報を発信し,しかもいろいろな媒体があるようです。『あなたのリテラシーは高いですね!』と評価されるのだそうです。それは,どんな情報でもいいのではなく,正しく,意味のある情報でなくてはなりません。種々雑多の情報が氾濫しているの世の中で,今必要なのは「情報選択の能力」なのでしょうか。

 オジイちゃんになっても、《良い情報》を得たい思いがあります。それを見逃したくないのです。そう言えば,読まなくなった本なのですが,それなのに毎日毎日新しい本が書かれ,出版されていますし、印刷はされない情報や見解や意見やツブヤキが,ネット上に溢れています。かく言う自分だって,性懲りもなくブログで,自分の「思い」を,発信し続けてやめません。そして、好きで関心のある分野の情報を得たい願いが強いのです。

 でも〈怪情報〉には,しっかりとアンテナを張って,目を光らせていなければなりません。驚いちゃうのは,「買い物情報」です。良さや斬新さや,さらには安さで迫って,購買欲を煽ってきます。必要最低限度のもので十分なのですが、欲しさを煽られてしまうのです。心にも玄関にも、「関所」を置いて,出入りを厳しくチェックする必要を感じています。

 目下の関心ある情報は,「健康情報」です。運動に食物に栄養素などです。やはり一番は,「取捨選択の能力」なのでしょう。そして,「ことばの能力」かな。若い頃に出会った方が,情報満載のノートを持っておいででした。「宝物」だといわれて、とても大切にされていました。ささっと書き込まれていましたし,開いては読んでいました。

 あのノートを,じっくりとみたかったのですが,叶いませんでした。そういえば,このわたしの iPad  の中にも,驚くほどの量の「情報」、とくに印象深く読んだり聞いたりした「文章」や「ことば」が溢れています。でもどうしても必要なものは,わずかなのです。きっと知識が増すと,それに比例して悩みも多くなるのではないでしょうか。

(キリスト教クリップアートのイラストです)

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