ひと夏の思い出(2)

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渋谷から地下鉄「半蔵門線」に乗って押上駅で降りますと、そこは「東京スカイツリー」の真下でした。出張で帰国中の長女と次男とで、「一度は登ってみよう!」とのことで出掛けたのです。平日でしたので空いているかと思ったのですが、あにはからんやの夏休みで、学生と小さな子連れの家族で溢れていました。「(待ち時間)70分」とサインの出ていた最後部の列に並んだのです。今や「東京一の人気スポット」ですから、仕方なく「お上りさん」をしてみました。幸い列に最後部は、建物の中で、しっかりと冷房が効いていたので助かりました。「一人2000円」の入場料は高いと思いましたが、娘に払わせてしまいました。

高速のエレベーターで、一気に登ったのですが、「こんなに展望台に人がいて大丈夫?」と思うのは素人考えで、構造上も工学上も問題がないのです。二十一世紀の日本の科学技術の粋を凝らして作られたのですから、展望台に足を置いても不安はありませんでした。少々曇り空でしたが、千葉、埼玉、神奈川、山梨の隣県も眺められ、東京の街は足元に見ることができ、こう言ったのを「鳥瞰(ちょうかん)」と言うのでしょう。大空を舞う鳶(とび)にでもなったような気分でした。高度が「むさし(634m)」の駄洒落(だじゃれ)なのがいいなと思わされます。

上の展望台に登るのは別料金でしたし、その展望台を満喫しましたので、下りのエレベーターで降り、次の目的地の「浅草」に向かいました。「鰻を食べたい!」という娘の要望で、お目当ての店に息子が案内してくれたのですが、あいにくの休業日だったのです。唾を飲み込んで、道を行きますと、「蕎麦屋」があり、「ここでいいか!」と言うことで暖簾をくぐったのです。空腹だったこともあり、結構美味しかったので、満足して隅田川にかかる「吾妻橋」を渡りました。

もうそこは「浅草」でした。都市整備で道路の車線も増えて、道路ぎわの建物もほとんどがコンクリートのビルになっていて、ずいぶんと様変わりしていました。私が、そう思うのですから、父が生きていたら、目を丸くして驚いたことでしょう。仲見世をぶらぶらしながら、ちょっと疲れたこともあり、路地裏の喫茶店に入りました。そこは六十年代の雰囲気を感じさせる店でした。そこを出て、今度は「浅草線」で渋谷に向かいました。息子と私は「東横線」に乗り換え帰宅し、「ちょっと買い物を!」と言って娘は渋谷で降りて行きました。

「打ち合わせがあるので!」と言って出掛けた息子が、九時ごろに帰ってくると、娘が渋谷で買ってきたケーキにロウソクを立てて火をつけました。電気を消したら、「ハッピーバースデーツーユー」と歌い出したので唱和して、息子の誕生日をお祝いしたのです。ローソクの火を消した息子の横顔は実に嬉しそうでした。もう何年も、誕生日を家族に祝ってもらったことがなかったことでしょう彼は、久しぶりの誕生祝いに、きっと「家族っていいなあ!」と思ったに違いありません。そう、私も「家族っていいなあ!」と思ったことです。

(写真は、新しい東京のテレビ塔の「スカイツリー」です)

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