ひと夏の思い出(3)

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息子の自転車にまたがって、全国高校野球選手権の「西東京大会」の決勝戦が行われる「明治神宮球場」に、麦わら帽子をかぶり、ザックを背に出かけました。午後一時試合開始でしたから、夏の陽がジリジリと照りつけていました。入場券を買うために、長い行列ができていましたので、その最後部に並んだのです。「もう少し日陰がほしい!」と思ったのですが、じっと我慢しておりました。3塁側の応援席に陣取って、球場全体を見回すと、ほぼ満席の状況で、さすがに決勝戦の熱気に満ちていたのです。久しぶりの都立高の決勝戦出場を果たした「日野高校」の応援をしたのです。私が都合、十五年ほど住んだ街にある都立高校だったことが、そうさせたわけです。卒業生ではなく、戦後の団塊の世代の受け入れで、1960年代の初めに新設された高校でした。対戦は日大三高、西東京の雄で、甲子園で優勝経験もあるほどの名門でした。

やはり一方的な試合運びで、大差で日大三高の勝利に終わってしまいました。でも試合を捨てることなく、最後まで善戦した日野高校の選手たちに、最大級の拍手を送って席を立ちました。人気のないスポーツをしていた私には、このメジャーな高校野球の沸騰するような人気が羨ましくも感じたのです。同じ運動場の右と左に別れての練習は、時たま打球が入り込むこともありました。野球部とは、仲良く励んでいたのです。私の部は、先輩たちや後輩たちによって全国制覇をしたこともあり、野球部に比べたら認知度が高かったのですが、マイナーだったのは悔しい限りでした。都の予選の決勝戦では、一点差で敗れ、インターハイに出場できなかったのです。すぐ上の兄とは同じ学苑の中等部と高等部で、兄は、その野球部に所属していたのです。確か東京の「ベスト16」で、甲子園の夢は破れてしまいました。

帰りも同じコースを通ったのですが、途中、「国連大学の前庭で<フリーマーケット>をしているんだけど、面白いよ!」と息子に言われて送り出されたので、寄ってみました。何と、そこでは、多くの野菜や果物の中に、私の古里産の「桃」が売られていたのです。咄嗟に「食べたい、」と思って息子と私の分を買って帰ったのです。懐かしい味と、みずみずしさとで美味しく息子と食べることができました。

太陽、高校野球、自転車、麦わら帽子、桃と五つが並びますと、どうしても「夏」ということになるのでしょうか。熱中症にもならずに、日本の夏を楽しむことができた一日でした。

(写真は、決勝戦の行われた「明治神宮球場」です)

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