ひと夏の思い出

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帰国時に、すぐ上の兄と弟と彼の孫とで、福島県の津波被災地の二年半後の様子を見ることができました。八月でしたから、神奈川県下の片瀬海岸にでも匹敵しそうな広く美しい、豊間の海岸線は、夏の陽を浴びて、キラキラと輝いていました。かつては週日でも、この海塩屋岬と合磯岬の間にある海水浴場は賑やかだったのでしょうけど、私たちが参りましたおりには、サーファーが十人ほど遊んでいるだけで、閑散としていたのです。

車をおりて、歩いて見たのですが、家の基礎が残っているだけで、「ここが玄関で、そこは風呂場だったんだ!」と分りますが、蛇口をつけた水道管が剥き出しになっていたのが哀れでした。何代も何代も埋葬されてきた墓場の墓石がなぎ倒されているのですから、地震と津波の勢いがどれほどであったかが想像できました。人間が積み上げたもの、人の一生の最後を記念する家名を刻んだ墓石でさえも、一瞬にしてさらわれていくのだと思うと、「物を豊かに持つことが、人生の目的でも手段でもないんだよ!」と語りかけられたようでした。

日本の国が、豊かに作り上げ、積み上げ、誇らしく思ってきた有形無形のものが、自然災害の前では、赤子の手をひねられるように、一瞬のうちに略取されてしまうのだとしたら、私たちは大自然と、その造物主の前で、何一つ誇れないことになります。昨日も、台風のもたらした豪雨が、日本を襲ったとのニュースを聞きました。たびたびの異常気象の様子を耳にしますと、ここ中国の少数民族の「ミャオ族」に語り伝えられている「洪水伝説」も、作り話ではなく、歴史的事実だったのではないかと思われてしまうのです。

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今朝のこの街では、碧空が広がり、吹く風は肌に心地よく感じられますが、陽差しは、まだまだ夏そのものです。家内が買い物から帰ってきた物の中に、「さつまいも(甘藷)」がありました。あんなに西瓜やメロンが食べたかったのに、今や芋類を口にしたくなるのですから、巡りくる季節の産物というのは、 実に不思議な自然界の備えだと思わざるをえません。ちょうど母親が、育ち盛りの子どもたちに、「食べ物」を備えるような優しい心配りがあるように感じられてなりません。

地震と津波の被災地の復興が、まだまだのようです。また、福島の原発の放射能の問題も、「どうしたらいいのか?」から一歩も進んでいないそうです。課題だらけの日本ですが、生まれ育った祖国の課題ですから、門外漢でいるわけにはいきません。共に負いながら生きて行こうと決心したところです。それはそれとして、昼には、芋をふかしてもらうことにしましょうか。

(写真上は、美しい「海」、下は「さつまいもの花」です)

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