私の世代が学んだ、小学校での、、国語の教科書に載っていた話で、家内もよく覚えていると言っていた話があります。日本での話ではなく、ヨーロッパの片隅で起こった出来事を、教科書の教材に組み入れる、日本の教育の在り方に驚かされるのです。そんな初等教育を受けられ、日本人の知的な骨格を作ったことに、今も感謝しているのです。
さて、その小学校の国語の教科書に、鉄路と車輪の摩擦音の異常音を聞いて、事故を防止したヨーロッパでの実話が載っていたのです。その音を聞き分けたのが、作曲家のドヴォルザークでした。この方は、チェコのプラハの近くで生まれていて、子どもの頃から鉄道に強い興味を持った人だったそうです。そう言えば、この方の作曲で有名な「新世界より」を聴いていると、電車がレールの上を走る光景や車輪の音が聞こえそうに感じてしまうのです。
ドヴォルザークは、蒸気機関車が発明された頃に誕生していて、機関車や駅や時刻表や、機関車を運転する機関士などにも、強烈な興味を持った子ども時代を過ごしているのです。あの車輪のリズミカルな音を、聴くのが大好きで、鉄道の駅によく出掛けたそうです。1877年以降住んだプラハのアパートはプラハ本駅からほど近く、毎朝散歩の際にはこの駅を訪れることを日課にしていたのです。また作曲に行き詰まると散歩に出かけ、汽車を眺めているほどでした。
産業上の大発明が蒸気機関でした。これが生み出す動力は画期的なもので、その後の産業を大発展させていきました。母の故郷に旅をしたことがありましたが、蒸気をシュッシュと吐き出して、鉄の車輪をレールの上で走らせる仕組みが面白くて、動かす線路の近くで覗き込んでいたことが、私にもありました。旧国鉄の電車の走るそばで遊んで、列車音を聞いたり、保線区のおじさんたちの作業場に出入りさせてもらったりしていたからでしょうか。
音感というのでしょうか、ドヴォルザークは、鋭い感性の持ち主だったので、列車に乗っていた時に、いつも聞いている、レールと車輪の摩擦音の異常に気付くのです。それで、『今すぐ汽車を止めて点検してください。走行音が異常だ、このままでは大事故に繋がるから!』と騒ぎ出したのです。機関士は、『通常通りで問題なんかないのに!』と取り合わなかったのです。
ドヴォルザークは、『いつもとリズムが違うんだ!音楽家の私の耳を信じてくれ!』と執拗に訴え続けたため、仕方がなく点検をします。するとドヴォルザークの言ったとおり、欠陥が見つかり、大事故を避けることができたのです。
この8月20日午前11時前に、栃木県鹿沼市の東武日光線新鹿沼駅構内で、除草作業中の作業員4人が特急列車と接触して死亡した事故が起こりました。よく私も利用する路線でしたので、大変驚いてしまったのです。どうも人的なミスによるものだったそうです。
作業の安全を期すために、二重にも三重にも、注意しなければならない厳重な見張りをすべきだったのですが、それを怠った結果だったに違いありません。子どもの頃、私の家族が住んでいたのは、旧国鉄の駅や踏切が近くにあり、国鉄職員の住宅があって、特別に「保線区」もあって、その作業場に大勢のおじさんたちが出入りしていたのです。
珍しい道具が整理整頓されて、作業場に置かれてありました。身の丈もありそうな大きなバールや、ワイヤーやカッターや、カーバイトのカンテラ(照明ランプ)などがあったでしょうか。きちんと所定の場合に置かれ、次に使う時のために、定位置管理がなされ、それは見事だったのが、子どもの目にも分かったのです。何と、それを私たちに触らせてくれたのです。将来の保線区員にでも見えたのでしょうか、『あっちへ行ってろ!』と子ども扱いされなかったのに驚いたのです。
旧国鉄は、国鉄一家で、親の仕事を子が受け継ぐので、そう言われていました。近所にもそういう家族がいたのです。「愚直の努力」、運転手や車掌、駅員だけではなく、人や機械が動かない夜間には、車両や線路の保守点検をする保線区員が、その裏方の仕事を担っていたのです。鉄製のレールや車輪の不具合や亀裂を、独特な肢のながい 頭の小型なハンマーで、コツコツと叩いて音でチェックていました。
そう言う、命に関わる業務を、外部に委託したり、任せてはいませんでした。大組織の中に専門の目立たない仕事をこなすみなさんが、使命感を持って、愚直に励んでいたのです。今回の事故があったのは、駅構内の線路の周辺の除草だったようです。子どもの頃は、駅構内でも線路周辺でも、雑草が見られませんでしたが、今は、どの駅に行っても、特に地方や私鉄の路線や駅構内に、草が見られる傾向があります。合理化や経費削減で人手が足りないのではないでしょうか。
社会のどの分野でも、高速化や車両の美化などに、重点が置かれていないかな、と思わされ、人命尊重への重点化が足りなくなっていないかなと思ってきています。専門的な業務の担当者の不足がありはしないか、そうも思うのです。見えない所への配慮、最も大切なことへの関心が弱まっていないか、これって昔は良かったのに、の考え方でしょうか。今回の事故は、その安全点検や見張りを、子会社に下請けさせていたそうです。それも分業化の時代だからなのでしょうけど。
列車の接近を最初に知らせる「中継見張り員」が、『(所定の位置に)到着する前だったので、除草作業は始まっていないと思っていた!』と、派遣元の東武鉄道の下請け会社に説明していることが同社への取材で分かったそうです。監視態勢が十二分に整っていない中で、その除草作業が行われたとみられます。
油断は禁物です。どんな仕事にも、細心の注意が必要です。あの保線機の道具置き場で、作業点検していたおじさんたちは、乗客や運転業務の命を預かる重大さを心得ていたのです。ほとんどの方たちが、そういった真剣味を、子どもながらに感じていたのです。目に見えないところでなされる仕事があることを教えられたわけです。
今や人生の最終の時期がやってきていて、懐かしく良かったことを思い出すだけではなく、社会的な責任を負わないですむ身ですが、総点検、最終点検の時期なのかも.知れません。ガスは、電気は、忘れ物はないか、し残したことはないか、そんな日常であります。
(“東武電鉄“のスペーシアX、“ウイキペディア”の蒸気機関車、“いらすとや”のレールの保線作業です)
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