線香花火を手にしていた父を

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 上海と大阪を結ぶ航路があって、よく乗船したのが、「蘇州號」でした。長江の河口の周辺で、もう直ぐ東シナ海の海です。そのあたりを、「黄浦江(こうほこう」と呼んで、日本人が異国情緒を感じて好んだ街がありました。教え子のご両親が、この街でホテルを経営していて、日本に帰るために、「高鉄(中国版新幹線)に乗って、紅橋駅に下車した時に、同級生と二人で迎えに来てくれました。

 そこで一緒に食事をしたのですが、その辺りが、かつて日本人街のあった地で、九十年も百年も前に栄えた街なのに、とても懐かしさを感じたのです。きっと父の若い日に、旧満州にあった南満州鉄道で働いたことがあって、長江の河口の街にも、きっと訪ねたこともあったと、思うと一入の思いが湧いてきました。

 戦前も戦後も、懐かしく、この街を歌った歌謡曲が何曲もあったのです。作詞は北村雄三、作曲が大久保徳二郎、唄がディック・ミネで、「上海ブルース」がありました。

1 涙ぐんでる上海の
夢の四馬路(スマロ)の街の灯
リラの花散る今宵は
君を思い出す
何にも言わずに別れたね 君と僕
ガーデンブリッジ 誰と見る青い月

2 甘く悲しいブルースに
なぜか忘れぬ面影
波よ荒れるな碼頭(はとば)の
月もエトランゼ
二度とは会えない 別れたあの瞳
思いは乱れる 上海の月の下

 戦前に、日本人が建てた建物は堅牢で、今もなお現役で使われています。石畳の道、四馬路が残されていて、「東洋」と言う言い方が、exotic(エキゾチック)で、懐旧の思いがしたのです。もう地下鉄が縦横に走っていて、激変の街に古い事物が残されているのです。

 高校生の頃に読んだ、「人生劇場(戦前のベストセラーだったそうです))に、この上海が登場し、外灘で、吉良の常吉が、花火師となって、花火を打ち上げる箇所がありました。すっかり、花火師になりたい思いにされたのですが、夢のまた夢で、直ぐに醒めてしまいました。

 そんな十代を思い出させるように、次男が、多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅から歩いてすぐの川岸で、花火大火があって、大金を払って席をようやく購入してくれて招待してくれたのです。席の真上で、ドンと言う音で打ち上げられ炸裂し、パッと見事に開花する花火に、見入って、そこから注文してくれたホットドックと飲み物を摂りながら、その花火を楽しんだのです。

野末なる三島の町の揚花火月夜の空に散りて消ゆなり 若山牧水

 終の住処の沼津から、隣町の三島の夜空を焦がす花火を、牧水が見て、詠んだ歌です。自分の子に、「旅人(たびと)」と命名するほど、旅を愛し、杜甫や李白の詩を愛し、彼らのように酒を愛して、43歳での死は早過ぎたのではないでしょうか。同窓に、彼の孫がいました。
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 父も花火が好きだったのでしょうか、夏の宵に、みんなを庭に連れ出して、花火を手に持たせてくれ、火をつけて楽しませてくれたのです。筒のある大物から、線香花火まで、色とりどりでした。大きな手で、父が線香花火を、チカチカさせている宵の暗闇の火花で、父の顔が、わずかに輝いていた様子が思い出されます。

 この7月に、家内と二人を招待してくれた、次男夫婦と、その三島を訪ねました。富士の伏流水で、身をすすいだ鰻を、感謝してご馳走になったのです。江戸期の東海道五十三次の「天下の嶮」、箱根を見上げ、道行く旅人が休み、歩み出した三島宿です。雲間に隠れた富士も、想像を逞しくして感じることができました。この町の花火は、10月に打ち上げられるようです。

(“ウイキペディア”の上海の外灘、線香花火です)

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